2006年11月14日

洞の祠・・2

「いやじゃ・・・」
なんど懇願しても白峰に穿たれた物から、離れえない。
「きのえ・・・無駄じゃ。蛇の物は果てるまで離れぬ」
いつまで続くか判らぬ蹂躙がきのえを苛み、悲痛な泣き声が喉を虚しく通り過ぎてゆく。
「父さ・・まが案じて・・おる。帰して・・・くれや」
「心配すな。勝源には、知らせをやる」
きのえの一計はあっさりと握り潰される。
白峰という神格の面倒さがここにもある。
わざにでむかなくとも、勝減の夢枕に立つか、朧の姿を降臨させ神託をつげるか。
どちらにせよ、きのえを抱いた手を緩めずにすむ事だけは間違いない。
『どうしても、七日をとめおくしかないのか』
ほんの一時の辛抱と高を括った交わりも恐ろしく長い。
是が七日の間に何度くりかえされることか。
白峰の実に嬲られつくされる七日により、
きのえの中の黒龍への思慕は完負なきほどに叩き潰されることになる。
『こ、までされて、黒への操のたちようもあるまい』
その「こ」はいま、始まったばかりでしかない。
押さえつけたきのえの身体を弛めても、既に抜け切れぬ物がきのを捉えている。
ゆくりと、たぶ実を蠢かし、白峰の物になったきのえをその身体に教え込む。
「辛抱しやれ。すぐに・・・」
ようなるといわず白峰はきのえをみつめた。
初めての異物がきのえの中に今まで知らなかった感覚をしらせる。
それは、たとえ、どんな女であろうと、
どんなに拒もうとも主の意志に拮抗する女の身体の不思議である。
わずか、半刻の間の連動にさえ、
きのえの表情にこの不可思議に屈服する物が表れることを見逃すまいと、
白峰は緩やかな蠢きを崩さぬまま、きのえを見詰続けていた。
『喩え、初めての事であろうと、身体が女に成る以上、なった証しをみせてくる』
ふと、きのえの苦痛を訴える声がよわまる。
証を見せだしたきのえの身体は、じきに掌を返したように白峰の挙動に喘ぐだろう。
大きな鎖から解き放たれたきのえと知った白峰は
確実に我が物に落とし込むための穿ちを与えつくす。
己の身体が己を裏切りだす。
裏切った身体がいずれきのえを支配する。
支配されずに置けぬほどのきのえを作るためにも、
白峰は甘言を囁き、きのえの魂ごとほだそうとする。


布団の上に端坐したまま、勝源の一夜が明けた。
夜が白む頃まで、身体を布団に包ませたまま、きのえの事を考えていた。
きのえは藤太の所に行ったに違いないという作三右門の言葉を
信じようと努めるのだが、どうしても、腑に落ちない。
言いたい事をはっきり言わずに置かぬ性分のきのえである。
親の目を盗んで藤太と深い仲になっていたとしても、
すでに許された仲であれば、
むしろ堂々と「いやでもこうでも、藤太の所に行くしかない自分になった」
くらいはつげてきそうである。
だが、作三右門の言う事も一理ある。
女と云う別の生物になったきのえが、
男に組み敷かれる自分をみせるのは、藤太だけになるわけである。
『組み敷かれた女』という今までなかった部分を知った事を
他のものにけどられたくないと思うか、
むしろ、結ばれた喜びとしてけどらせるくらいのきのえになるか。
実際の所、勝源にはわからない。
判らない以上、作三右門の言う事にも一理あると思える。
とにかく、夜が明け、きのえが無事と判れば、それでいいわけである。
もう、七日も過ぎればどの道、藤太の元から帰ってこなくなる娘である。
「さては、こっそり藤太め。夜這わってきていたか?」
親に密かの睦事を既に繰返してきているのなら、
尚更、表面は気のない素振りを取り繕うきのえになるかしれんと思い巡らせた勝源が
やっと睡魔に捕まる自分を許した。
ほんのわずか。うとうと、まどろんだ事と思う。
一条の光が瞼を刺し、つむった目の中にまで閃光がうごめき、
まどろんだままなのか、夢なのか、判らないまま、勝源は覚醒を覚えた。
尾を引くたまゆらが目の中を幾筋もはしりさって、うかびあがって、ながれてゆく。
不思議な感覚のまま、勝源は光をみつめていた。
光がまばゆさを失い始め日向の明るさにかわると、
目の奥に黒い点が浮かびそれがだんだんおおきくみえてくる。
勝源にちかづいてくる点影がやがて人の姿と解ると、
勝源の意識の一方が「どうやら、これは夢枕だな」と教え始める。
黒い影に白いもやが掛り始め、黒い姿を取り囲むように渦を巻き始める頃には
「降臨・・・」
つまり神おろしだと勝源にもわかる。
「いったい、どこの神が、何の用で」
と、いぶかるより先に白いもやは大きな白い蛇の姿を象り黒い影を、
つつみはじめ勝源の目の中に人型として、姿を見せた。
「白蛇神?」
この辺りの神ではない。
村の外れの湖にせり出す洞の祠の水神
近在に住むものの守護神として、まつられているが、
この水神の正体は黒い龍だといいつたえられている。
勝源は息を飲みこむ自分の喉の音を聞いた。
確かに自分が覚醒しているとしか思えない聴覚とは、裏腹に
目の中の男はすさまじい麗美をもち、とても、現とはおもえない。
だが、男いや、白蛇神は勝源の前に立って居る。
凍りつくような美しい神が憂いを含んだ顔で勝源をみつめている。
この神に憂いを含ませるのがほかならぬ自分なのではないかと思ったとき、
白蛇神の低い声が勝源の胸の中で響いた。
「きのえをば、藤太にかせることは、まかりならぬ」
―なぜ?―
勝源が胸内で答えを探るより先に声がひびいた。
「そなたの娘。きのえは今日よりこの白峰の寵愛をうくる」
な・・・なんと!
白峰というは、白山連邦、白峰山の主神ではないか?
だが、なぜ、そんな神がこの琵琶のほとりの小さな村にあらわれる?
いや、それより、なぜ、きのえを?
勝源の驚愕を見越してのさきの憂い顔だったのかとしると、
一層に勝源は神に娘を差し出さねばならぬことが口惜しい。
「なぜ・・」
なぜ、もうすぐ嫁ぐ娘を横からひっさらうまねをする?
それが神のすることか?
きのえが人としてごく普通に生きることを阻むも神ゆえ傍若無人で負かり通せるというのか?
白峰は勝源の心を読み取るときのえの片一方の事実をつげた。
「きのえは藤太がところへかすことをのぞんでおらぬ」
「ならば?」
自分で口に出すことさえ、震えるほどに悲しい。
「きのえは、お・・」
神をして、お前呼ばわりする事に勝源はすこしためらったが、つづけた。
親の許しも得ずに娘をひっ攫うものは、神といえど崇める必要なぞない。
「きのえがおまえをのぞんだというか?」
勝源が藤太を選んだのはきのえの性分をよく知っているからだ。
罷り間違っても、きのえはこんなひややかさをもつ男なぞ好きはしない。
藤太の明るく温厚な性格がきのえの負けず嫌いをじんわりとうけとめ、
きのえに安らぎをおぼえさせる。こうみぬいた勝源である。
すくなくとも、自分勝手な感情をきのえに強いているとしか見えないような男に
あのはねっ帰りの娘が惹かれるとはとうてい、考え付けない。
勝源の言葉と胸の思いをみとった男が浮かべた笑いは
どこか自嘲めいているくせにやはり冷ややかなものであった。
「父親だけあって、よく、しっておいでである」
妙に慇懃にいわれると、事実は逆なのだと皮肉られている様にさえ聞こえる。
「たしかに、藤太の性分は」
父親だけあって、合う合わぬより、むしろ、きのえがどういう性分を好くか掴んでいるといえる。
『藤太は黒めと相通じる物を持っている』
藤太の性分を好くだろうきのえ。
つまり、黒に惹かれるきのえを認める事が出来るのは、
既にきのえを手に入れた余裕がなせるわざである。
「藤太の性分だけをいえば、親父殿のいわされるとおりであろうが、きのえは・・」
気の毒と云う目の白峰に告げられる事実はまた、勝源の胸をしめつけることになる。
「いずれにせよ、きのえは人の物になれぬ
白峰がきのえを奪い取った相手は藤太なぞと云う人間ではない」
「ど、どういうことだ?」
きのえはすでに別の神に?こういうことか?
されば。神同士の間に立たされてきのえは玩具の如く奪い合われていたというか?
「きのえを・・きのえをなんだとおもっている?貴様らの・・」
欲を拭わせる道具か?それが、神のなすことか?
きのえをぼろ布のように嬲ったのかと訊く言葉を出すことさえ胸が苦しい。
「いや。きのえは放っておけば、黒龍の元で一生、未通女のままで暮らす事になる。
黒龍におもわれもせぬまま、巫女の如く一生を送るきのえであるよりも、
そこは親父殿とおなじ。女子としていきてほしいものよ」
「黒龍?だと?」
「どのみち、人間風情がたちうちできぬ相手よの」
暗に同じ神だからきのえを奪い、
女子としての生き様を知らせる事が出来るのだといっている白峰である。
「待て。お前の言い分では黒龍がきのえをとらえていたようにきこえぬ。
きのえが勝手に黒龍におだをあげていたとするなら、何ゆえ、お前が横からかすめとれる?」
「この白峰がこらえきれなくなったほどに『女』を匂わせ始めたきのえに
黒龍が欲をいつ滾らせるか判らないではないか
きのえがのぞんだとて、黒龍の一時の寵愛に、わたさねばならぬか?」
黒龍に弄ばさせて棄てさせるくらいなら、
きのえを振り向かせるために、自分がきのえをうばったという。
「すると」
神が人間に交わりを強いれるのは、七日を限度と聞く。
きのえのこの先はきのえ次第できまることであるが、
「きのえは巫女として、お前に仕えるしかないということか」
勝源の呻きを聞かぬ顔で白峰はつげた。
「七日七夜。きのえを妻に召す。七日があけたのち、
きのえを返すが、きのえのさきゆきが
白峰の物となるしかないことを違わせる者がおれば・・・」
白峰も自分の脅しを口に出すはさすがにためらった。
だが、なんとしてもこの先もきのえがほしい男は
卑怯としか言えない策を敢えて口に出すことを選んだ。
「あふり」
何と言う事を言い出す神であろう。
人間の女子ほしさに同じ神からきのえを奪い
この先、きのえの方から白峰を求むる以外、交情をもてない掟をさかてにとる。
あふりなぞあげられては、被害はきのえだけのことですまなくなる。
稲つくりも漁もあふりの毒に侵され村人のたっきの道も奪われる。
村長として、きのえを差し出す道しか残されないだけなら、まだしも、
きのえにこんな男を求めて生きよといわねばならぬ。
それだけでない。まだ・・・ある。
『藤太・・わしが、お前に託したかった娘はもう・・』
どう、つげればいいのだろうか。
村長同士の寄り合いで教えられた男は、
きのえの婿に相応しいと推し進められたとおり勝源の目にかなった。
きのえよりむしろ、勝源が気に入ったといっていい。
男親がたいそうきにいるような男だから、まちがいがないとおもっていた。
だから、いくら、きのえがなんといっても、添うてみれば変わると信じていた。
三年も前。藤太はまだ、十九だった。
「まだ、十三のねんねだが、三年もすれば嫁にだせよう。おまえ、貰ってくれぬか」
と、訊ねた親ばかぶりをわらいもせず、藤太は
「親父さんとこの、娘なら間違いない。良い娘だろう」
と、はにかんだ。
その約束を果たそうという矢先だった。

朝になってもやはり、きのえが返ってこぬ。
勝源はやはり、夢のお告げを信じるしかないのかと思う。
白蛇神の存在さえ知らなかった勝源にはその神の居場所もわからない。
手繰る術は奴が口に出した同じ神格である『黒龍』に頼るしかあるまいとおもうが、
あれほど先行きまでを言明した白蛇神が七日を過ぎぬうちは、きのえを返しはすまいと思う。
が、いかんせん、口惜しい。
「嫁取りの日まできまっておった娘を神ゆえと何の無体をつうじさせられる?」
勝源の胸の中の憤りは黒龍にもむけられてゆく。
「白蛇神のものにならないなら、黒龍が物になるしかないといいおったな?」
藤太の者になれぬというということは、もともとは、黒龍の存在のせいであり
白蛇神はその確約をかえたにすぎないといった。
と、なれば、この事件のきっかけは黒龍に始まると言う事になる。
「村人を護るのが水神のつとめではなかったのか?」
その水神がきのえに不埒な思いをもったゆえ、
白蛇神も神としての常軌を逸する事を己に許したと言う事になる。
神に魅入られるがきのえの運命なら
その神が白蛇神であってもよかろうという安易な許容を植えつけたのは黒龍ゆえだ。
素性もわからぬ神の横暴は仕方がないとも思える。
だが、黒龍はこの村の外れ
七尾つづらの山を抱く入り江の先端の祠に大事に祭ってきた。
朝の漁に苗代の水に何かにつけ水神の加護を信じ、供物をささげた。
胸の中にいつも、崇めつづけた、いわば同胞のような存在である。
この同胞の挙動が,あさましくも人間の女子に懸想かけていたという。
「許せぬ」
と云う、思いとともに、勝源は洞の祠に足を向けると
居るか居ないか判りもせぬ水神に向けて憤怒を表した。
「きのえをかえせ。わが手に返せ。お前のせいで、きのえは蛇なぞに・・」
ぽたりと泪が落ちた。
人として生かせしめたかった愛娘の人生は踏み潰され、巫女という形の生贄になる。
―いまさら、なにをいうてもせんないー
憤りを口にすれば尚更引き返せない事実だけが胸に迫ってくる。
「藤太・・がとこにも・・やれぬ体にしおってから・・」
それだけで飽き足らずきのえのこの先を差配する。その白蛇神と、
「おまえも、おなじものよの」
いくら、なじってみても、くだらぬ者はくだらぬ。
「きのえ・・・を・・」
もうどうにもならぬ。
たとえ、白蛇神から、きのえを取り戻したとて、運命は神の寵愛を受ける娘と魂に刻んでいるのだ。
「だが、せめても、御前なら、諦めもしよう。
幼き頃からのきのえを見守り続けた守護の神がきのえに懸想するは、まだしも。
なんで、この地の者でない神なぞに。お前がなんで、きのえを護れなんだ・・・」
苦渋だけが、勝源の胸を穿つ。
しんと静まりかえった祠の中さけんでみても、ただ、己に返って来る言葉が胸の中をすさばせる。
「きのえは・・・」
無垢なまま、藤太に渡したかった。
似合いの夫婦になると思うておった。
「・・・・・」
拳を握り締めると、勝源は洞の祠をあとにした。
白蛇神に望まれた娘は、今其の契りを強いられ、あと、六日を過ぐるをまつだけ。
その思いだけで六日をすごすのだろう。
だが、其の後も・・・。
運命はきのえを差配する。
「なんで、おまえが・・」
神なぞに魅入られねばならぬ。
どうなじってみても、覆せない事実だけが勝源の前に披瀝する。
「さしだすしか・・ないのか?」
それだけはできぬ。
藤太にすまぬとおもう。
人と人の約束を無に返す、神の横暴をせめて、勝源だけはゆるしはしない。
洞の祠を出た勝源の目の中に明るい日差しが差し込む。
目が痛いのはまばゆさのせいだ。
きのえを神の恣意に屈服させられた悲しみのせいではない。
「きのえ。おまえさえ、望まなければ活路はある」
この七日。白蛇神が手を下せるのはそれが限り。
人の心で運命を覆す。
神の恣意なぞ、どこ吹く風にできる。
勝源は「あふり」と唱えた白蛇神に立ち向かう自分になるしかないと思った。
たとえ、いかなる被害が生じても神の横暴を許せばこの世は人のままにならぬ。
こんな事があって、いいはずがない。
天の捌きをかけて、勝源はたちむかう。
神より強いものは人の心であり、天である。
天は人の心に乗りうる。
一介の人間が秘めた反心は、地上を揺るがす事になると知らず、
勝源の瞳からあふれる潮は血の色にも見える決意そのもになりかわった。


「なんということを・・・」
洞の祠に現われた勝源の言葉で黒龍はきのえに何がおきたかを理解した。
と、同時に黒龍の心に湧いた物をそのまま言葉にするとこうなる。
「藤太にやるなら、諦めもしよう。
このまま白峰なぞに渡すため己が心をふさぎこんだのではないわ」
確かにきのえを求むる心がある。それは事実である。
だが、それもきのえを人としていかせしめたいと思ったゆえふさぎこんでいた。
それを良い事に・・・。
「白峰、よくも・・・」
どれだけの思いできのえを人として生かせようとしたか。
知っておるはずの御前がした事は、畜生よりも堕ちる。
「許さぬ」
だが、それよりも、
「きのえ・・」
こんな事になるならばいっそ御前の気持ちを受止めておけばよかった。
幾度と。何度と。
御前と一つになれる機会はあった。
御前の望みをつぶしたのは。
「白ではない。このわしじゃあ・・・」
泣き叫んで抗い、諦めたきのえの姿が目に浮かび、黒龍の後悔は峻烈な痛みを伴う。
きのえの暗く沈んだ悲しみを思うとき、その淵からきのえを救い出せるのは自分しかいないと思う。
さらに、救い出すより先に、黒龍ははっきりときのえを欲する自分をつきつけられた。
「わしが、自分の気持ちを偽ったせいじゃ」
きのえに見せられる真実は喩え、今からでも遅くない。
きのえ。せめても、御前の思いから逃げたわしがしてやれることは・・・。
ふいと黒龍は龍の姿に変わると空をめがけた。
天空より、白峰の居所を探し、きのえを取り返すときめた。


空に舞い上がりきのえの気配に感覚をとぎすまさせる。
だが、白峰の手中にとらまったきのえは白峰の結界のなかにいる。
かけらほどの気配も感じ取れない。
だが、きのえの昨日の痕がある。湖とは反対側の山の中に入った途中で
きのえの気配がこつぜんときえている。
ここで、白峰が虚所の棲家をきのえの眼に幻惑としてみせ、
虚所のなかにはいりこませたきのえをどこかに攫ったにちがいない。
きのえを捜す手立てが塞ぎこまれたと知った黒龍は天空界に昇りあがった。
「ほおう?」
ひさかたに眼にした黒龍をさそくに見咎めたのは八代神である。
目差す相手がそこに居る。
「八代神。白峰はどこにおる?」
「はて、はて・・白・・・」
尋常でない黒龍の顔を見詰めた八代神は口ごもった。
「どこにおる?おまえなら、わかろう?」
教えぬならお前から八つ裂きにしてくれるわとでもいう、憤怒がみえる。
「さて、なるほど・・・」
黒龍の元に足を伸ばしていた白峰を知っている。
黒龍を慕う人間の娘がいる事も知っている。
そして、白峰の性への欲が強い事も知っている。
黒龍が側にちかづける娘はさぞかし美しい魂を持っていると思える。
そして、黒龍がただ事でない形相で白峰をさがしている。
事柄を並べ立ててみただけでも、八代神にも、白峰のしでかした事が見えてくる。
「娘をさらっていったか?」
黒龍の瞳に火がみえる。
「おまえのものにしておらなんだのだろう?」
いくら、白峰とて黒龍の物になった娘をさらいはせぬ。
誰のものでもない娘を白峰が先立って手に入れたとしてなんの責めもできぬ。
「嫁入りがきまっておったわ」
「人間のところだろう?」
人の世の輪廻の中ではまだ、とりかえしがつく。
今のえにしがきえはてても、次の転生でその縁をかえすことができる。
「だから、神の恣意が先にまかりとおるというか?」
人の一生はみじかすぎる。
未来永劫続く輪廻転生の中で一度くらい神にそめられたとしても、
それは小指にとげが刺さったくらいのもの事にすぎない。
むしろ、長き命と云う思いの中に生きる神がその思いを果たしきれず
悔恨の情を持ち続ける事ほどの苦渋はない。
「白峰の思いのほうが大事だというか?」
「そうはいっておらん。だが、こんなささいなことひとつで、
あれが祟り神にでもなってみろ。
人間界に及ぼす禍は娘ひとりの一時の今生の問題だけですまなくなる」
ぎろりと黒龍はめをむいた。其の口から出てくる言葉は呪詛にもつながる。
「それで、代わりにわしが祟り神になればいいというか?」
「なに?」
お前。今更。娘を白峰に取られたいまさらになって、本気になったというか?
「きのえはわしをのぞんでおった」
いうてもどうにもならぬ悔いである。
だが、黒龍を望んでいた娘が白峰の恣意を受けさせられる事は陵辱いがいのなにものでない。
「どんなにか、つらかろう」
「おまえの苦しみはわからぬでないが、白峰にすれば、お前を思う娘と知っての上、
これは、それでも、娘をふりむかせたかったということになる」
よほど、白峰の方が真剣かつ必死であったということになる。
「取られるにはとられるだけのわけがあるものよな」
黒龍。おまえのうかつのせいでしかない。
とられた後になってしもうたといって、駄々を捏ねているだけにすぎない。
八代神はふいとその場をさろうとする。
「まて」
この上何をいうことがあろう。
八代神は冷たい一瞥をあたえるしかない、その顔をふりむけなかった。
「ひとつだけ、ききたい。きのえの先を読んだ時、何故あの娘がわしの女雛になるとでた?」
「なに?」
女雛。つまり妻という。
黙り込んだ八代神はうでをくんだ。
黒龍が嘘を言うはずがない。
だが、それならば、なおさら・・
「それを知って何故素直に・・」
きのえとの運命を享受しようとしなかった?
「人だぞ。人の子だ。許しては成らない結びつきではないか?」
「おまえ・・・」
馬鹿だといおうと思った。
天は地に住むものを天空に住む者の姿に似せてつくった。
天と地。この隔たりの中、そこに住まうものは生きていく時間も寿命もちがう。
だが、この地に住む者の場所に天空に住むべき者を介在させている天である。
この逆はありえない。
天に住むものの中に人をいれることはない。
すなわち、神が人の世に触れざるをえないのは、地界を作った天のおもわくがある。
「天は己が愛でた地の人型に、是を映し観た天空人の血をながしこんでみたい」
左程に天空人の存在を地上に移しこむ機会をのこしておきたがった。
「そのあらわれだったということになるか・・・」
きのえと黒龍は天の思惑であったと考えられる。
この定めは変えられるものではない。
いくら、親の理があろうと人と人が結ばれる事を阻む。
が、この定めの前提である天空人との融合という中に、黒龍でなく、
白峰が混ざりこんだとしてもこれは、天の思惑の範疇になる。
「のう、黒龍。あきらめるしかないと。これしかゆうてやれぬ」
だが。
「天がお前をなざしてきたとならば、この定めを覆す白峰はいわば逆賊。
天の思いとお前の思いが一致する今、それがおそろしい」
う、と俯いた黒龍である。
「争いは四方にひろがる。天がめでた人の生き様まで酷いものにかえるとしても、
それでも、今のわしにできることは・・・」
きのえへの情愛をさらけだすことしかない。
「人々を窮地に立たせ、天はお前に何をみさだめようとしているのだろうか?」
「情。是だけが己の勝手になる思い。
この情の尊厳さにきずかなかったわしをして、天は人の世に説きたい」
「ふむ」
白峰の居場所を教えても、張り巡らされた結界の中に入る事もできない黒龍であろう。
「天空人として、人に寄せる情がいかなるものであるか、
天の思惑で作られた地上人へ、知らしめるかくごというか?」
「おお」
「辛いぞ」
「覚悟の上」
「泣くぞ」
「今より、くるしいことなぞない」
「そうか」
八代神は地上を覗くと、しずが岳をゆびさした。
「なれど。お前の取り返すものはきのえの身体でない」
「う・・」
八代神の言う事は酷い。定められた七日七夜。
この後のきのえの心を取り戻すしかないということである。
きのえの心が、黒龍への追慕をなくすしかない(七日七夜)を与えられる。
身体だけを取り戻したとてこの七日七夜が与えた変化はきのえの心をどうかえているか。
「あれは、わしをゆるさないということか?」
「あたりまえだろう?」
おめおめ。他の男の手に渡す事しか選ばなかった黒龍の情の持ち方でしかないに較べ、
必死にきのえを求めた白峰である。
二人の男をひきくらべてみても。
「おまえにあいそをつかしているだろう」
「そうかもしれん」
その心から取り戻さねばならないと言う事になる。
身体などいくら、白峰に奪われたとてなんぞ、こだわることもない。
だが、きのえの心。
「いまさら、ほえづらをかく覚悟なら必死にみじめになるしかあるまい」
「うむ」
のた打ち回るほどの怒りと嫉妬ときのえへのくるおしさ。
是を甘んじて受ける以外きのえへの真を見せるてだてもなく、
「わしは、いまさらながら、きのえがこいしい」
この思いにしたがうしかない。
「まあ・・いってみるがよい」
門前に打ちふすこじきのように惨めに白峰の行為が与える暫悔をきく。
「あれの心をうけとらなんだ、わしが受ける懲罰だとおもうておる」
眉をかすかに動かして哀れむをふせ、八代神は頷いた。
「この先。神が一人の女子をうばうという愚かさがくれる悔恨はてひどいものになる」
「覚悟の上」
「人が死ぬぞ」
黒龍はぐっと瞳を閉じた。
「それも、いとわぬ」
「修羅の如き、生き様のはて女子を得て、むなしくはないか?」
「それもきのえに見せる真である」
黒龍はくっと上を向いた。
きのえの思いを踏み潰し続けた自分である。
女子一人を護る事もできず、黒龍神とあがめられても、虚でしかない。
一介の男でしかない情に真摯に生きてみせる事もできず、
「生きていても甲斐がなかろう?」
何よりも尊ききのえといってみせる。
この黒龍の証でしかない。
「思い、ひとつ」
それに生きるに人も神もなかったと気が付いた今、
黒龍は無明地獄に落ちる沙汰をも選ぶ覚悟とみた。

勝源の夜は悲しい。
藤太にどう告げればいい。
考えては、軒を出るがやはり、藤太のところに行くに行けない。
ぼんやり、外を眺めてみては、考え直そうと家にはいり、
やはり、どうにもならぬと外に出て藤太の所へ行くしかないと軒下で立ちすくんでしまう。
其の勝源が眼にしたものは正に異様な光景としか言いようがない。
黒い闇の中にもっと黒い塊が蠢いている。
「?・・!」
其の場所はしずが岳にまちがいがない。
勝源が見たものはしずが岳の尾根に浮かぶ大きな黒い塊だった。
漆黒の夜の闇の中。さらに黒い塊が闇の中を蠢く。
黒い塊の中から炭火のような赤い光が発せられると黒い塊の姿をなぞらえてゆく。
「黒龍?」
そうだ。黒龍がしずが岳の尾根の上をうねっている。
きのえがあそこにいる。
黒龍は白蛇神の元に辿りつき気炎を上げている。
「とりもどすつもりでいるというか?」
だが、それが無駄でしかない証拠に黒龍のうねりはしずが岳の地に降立つことがない。
「結界をはっている」
白蛇神は結界の中にきのえを閉じ込めている。
神である黒龍さえ寄せ付けぬ白蛇神の結界の敷き詰めように、勝源は己の無力をしるばかりである。
「藤太・・が、ああも、できはしない・・・」
黒龍のうねりは入れぬ結界の周りで蠢くばかりである。
だが、そうまでして、きのえを取り戻そうとしている黒龍を見たとき、やっと、勝源の胸が空いた。
(黒龍。お前にきのえの先をたくしてもいいのかもしれない)
同時に藤太への告知に決心がついた。
藤太には、普通に、人間の女子とくらせてやらねばなるまい。
赤黒い炭火のいこりを身体から発するほどに、
神が思いかけるきのえを藤太のところにやっても、この先、ろくなことにならない。
きのえの幸せのために選んだ男を、男の幸せのためにあきらめるなら、これもよしだろう。
「黒龍。お前の思いのいくばくか、しったきがする」
一刻たっても三刻立っても夜が明けても、勝源の眼には結界の前でのた打ち回る黒い龍の姿があった。
「わしよりも・・藤太よりも・・お前がくるしんでおる」
ひょっとすると、きのえよりあの黒い塊は苦しんでおるのかもしれぬ。
怒りをぶつける事も叶わず、きのえを取り戻す事もできず、きのえへの思い一心で
黒龍は白蛇神に張り付いているだけである。
其の尾根を舞う黒龍の足元できのえは白蛇神の陵辱に落ちている。
「くやしかろう?」
「かなしかろう?」
愛する者を奪われた黒龍の虚しい挙動は、諦め切れないきのえへの思い、
そのままに止む事がなかった。
「・・・」
勝源の口がへの字に曲がった。
「黒龍。もう・・よい」
それほどまでにきのえを思ってくれていたお前だからこそ、
白蛇神もきのえがほしくなったにちがいない。
それを、せめても仕方がない。
「もう、よい。お前の気持ちは、よく、わかった。おまえのせいではない」
きのえという娘が持っていた因縁。宿業。それだけでしかない。


―うっとおしいー
山中の祠の中にきのえを連れ去った白峰は周到な結界をはり、結界の気配さえ消し去った。
だが、その結界の周りを黒龍がうろつきだした。
(天空界に帰って、おそらく八代神にききただしたにちがいない)
白峰の居場所を教える教えないは八代神の勝手でしかない。
黒龍との諍いも怨みもとう昔に覚悟の上。
そんなことよりも、今このきのえを手中に納めるべき、七日七夜の潤房の時に
うるさき蝿のように結界の上を飛び回る黒龍がうっとおしい。
(女々しい・・・)
きのえの泪もかれはて、今はただ、白峰の恣意に従順になるしかないと
諦念したきのえに黒龍の思いを気取らせてはならない。
「きのえ」
よんでみたとて、返事があるわけがない。
黙りこくったきのえに白峰はささやきつづける。
「きのえ。白峰は一時の欲でおまえをほっしたのでない。
この先、お前にこそわしをのぞまれたい。それだけでしかない」
つつと落ち来る涙もいとしい。
その涙のわけもよく判っている白峰である。
「黒に、そう・・いわれてみたかったの・・・」
声をあげ泣き始めたきのえの思いを腕に包みながら、
白峰はきのえを手中に納めたと感じた。
―こうほどにおもわれたかったー
白峰の想いをきのえは是としていることはまちがいがない。
あとは、黒龍への思いを過去のものにさせるだけ。
きのえの身体にはすでに引き返せない陵辱がある。
この陵辱を、きのえが寵愛と受止めたとき、心もひきかえせないものになる。
「きのえ。本意じゃに。おまえを見初めてこのみとせ。
白峰の心はおまえにしかない。この先も白峰にはおまえしかおらぬ」
きのえを貫く物で、心までつらぬくしか法がない。
いかに真意でいかに夢中でいかに待ち焦がれ
いかにしても我が物にせずにおけない己の猛りを見せ付けるしか法がない。
「つらいか、つらいだろうが・・きのえをわがものにしたい」
切ない吐息はきのえの涙を乾かす。
「白峰・・」
ここに来て初めてきのえが白峰の名をよんだ。
有頂天に成る程の嬉しさをかみ締めながら白峰はきのえを覗き込んだ。
「なんだ?」
限りなく優しい思いを込めて、しずかにきのえに問い返す。
「おまえは・・黒龍の気にも沿わぬきのえがことを・・」
後の言葉葉は泪で詰った。
「何度でも云うてやるわ。黒には子供でも・・白峰にはそうはおもえなんだ。
お前がみとせかけて黒に懸想しておっても、白峰は一時とてお前をあきらめることはなかった」
「そう・・」
そう。白峰はけしてあきらめはしないというに、きのえは黒龍をあきらめてしまった。
それは、白峰の暴挙のせいじゃない。
ここまでして、白峰がきのえを求むるという。
白峰にとってそれ程の「女」であるきのえが、黒龍にとって、何の価値もない。
黒龍をふりむかせることさえできない。
こんなつまらないきのえに白峰が本意だと言ってくれるほど、
きのえはそれでも、黒龍に振り返られない己がみじめになる。
こんなきのえに大の男が見栄も外聞もすて、己の欲のままにふるまう。
「黒龍をとりみださせることさえできない」
「うん?」
「なのに、おまえは・・」
損なわれた自信が白峰の必死の暴挙によっていやされてゆく。
「きのえ?おまえ。わしのものに、なってくれるというか?」
「・・・」
黙った事がきのえの肯定になる。
女の弱さは悲しい。
想っても想われぬものを思い続けてゆく事が出来るのは、
手を思うことで自分を思う男がいない寂しさを宥めることができるからだろう。
ところが、じっさい、自分を想う男の存在があらわれたとき、
片恋を通すことで寂しさが埋める必要がなくなってしまう。
きのえも丁度、是に似た思いだったかもしれない。
片恋の寂しさにしがみついていなくてもよくなったとき自分の抱えていた寂しさが
予想以上に深いことを知らされる。
と、それを埋めてくれた白峰の存在がいっそう大きく感じられてくる。
物寂しさを宥められただけと気がつかぬまま、
女は「新しい男」に心の場所をあけわたしてしまう。
「きのえ・・・」
頬を摺り寄せてくる男の髪をなで上げて見せたきのえの所作は既に女の物だった。
思ったより早く「女」に陥落したきのえにせしめたことに白峰の気焔は燃え立つ。
「この七日。お前は白峰の物ですごす。だが、その先は白峰がお前の自在になる。
七日より後、白峰はお前の物だ」
くるりとあけた瞳が不思議そうだった。
「きのえの物?」
「そうだ。お前がお前を白峰にくれたように、白峰もお前に白峰をわたす」
男と女のまぐわいを契りとも言うのは、こんな心の取引を指すのかも知れないと、
きのえはうなづいた。

勝源は七日が明ける日までしずが岳を見詰めていた。
片時も離れず黒龍はきのえのそばにいようとしている。
白峰への怨みつらみや怒りでなく、
きのえに一番近い場所に居るしかない哀れな男の恋情にみえる。
勝源が軒先でしずが岳を見詰め続けている事に気がついた村人に
「何をみていなさる」
と、訊ねられるまで勝源の眼にしか黒龍が見えていない事に気がつかなかった。
「みえないか?」
たずねかえしても、村の男は不思議そうに首をすくめた。
きのえが神隠しにあってから、勝源は山ばかり眺めている。
噂どおりなのだと村人は腹の中で頷く。
「藤太がの・・」
その噂を聞いて山の中にはいってみたそうだ。
きのえを隠した神がきのえと山に居るに違いないとおもった。
だが、山にはいって、暫くもしないうちに、気分がわるくなって、悪心がおきた。
このまま、進めば山の中でたおれてしまう。
藤太は直感して、山をおりてきた。
「きのえがことは諦めるしかないとしても、親父さんが気の毒じゃと云うておったそうな」
「そうか」
言葉少なく頷いた勝源の眼はかわらず山の一点を見詰め続けている。
「どこの神がさらっていってしもうたんじゃろうな?」
「わからん」
だが、藤太の悪心は黒龍の悲しみが撒いたもののせいだ。
黒龍は、自分でも知らずの内にあふりを落している。
本当ならば勝源は白蛇神の宣託のとおり、きのえを差し出す用意をしなければならないのだろう。
白蛇神が定める拠地である、長浜に社を建立させた後には、きのえをおくりださねばならない。
だが、勝源は夢枕に立った白峰の要求と長浜に社をたてさすというこの話を誰にもはなすきはない。
なぜならば、きのえを渡すきはないせいだったが、一点のかげりをかんじる。
きのえ自身が応諾せぬうちから、社をたてさせようと考える物だろうかということである。
是が非でも我が物にする。
この先も我が物にすると決めた白蛇神の先走りが無理を通せる物として社までたてるとかんがえさせたのか?
それとも、きのえが白蛇神の物になると心をさだめたせいなのか?
きのえが望むなら仕方がない。
だが、そうでない物を安受けあいしてわざわざ、きのえをくれてやるばかもない。
だいいち、きのえが白蛇神をのぞんだなら、黒龍もあきらめて、山からはなれるだともおもう。
黒龍も結界のなか、きのえの真意がつかめないのかもしれない。
だが、一番きのえの真意がわからないのは勝源である。
「とにかく、返ってきたきのえに本心をたしかめてからだ」
事の発端は結局きのえでしかない。
そのきのえの真意を知らずに、白蛇の言う事にへいつくばってなるものかと、
藤太にも本当の事は言わず「白紙にもどしてくれ」と伝えた。
むろん、がてんがいかぬ藤太はわけをしりたがった。
「神に攫われた」
そう答えた時初め藤太は怒った。
「わしがきにいらんようになったんなら、そういうてくれ。
きのえがわしをいやじゃあというなら、しかたがない。
だが、そんな嘘でわしが事を追い返すは勘弁してくれ」
突拍子もない嘘だと思った。
きのえには他に好きな男でも、おって、祝言まじかになって、男と出奔したんだろう。
事実をいうては、娘ひとり、、言う事をきかすことができなかったという親の沽券にかかわる。
藤太はそうかんがえたのだろう。
「嘘でこんな事をいうものか」
勝源は両手で顔を覆った。
指の隙間から流れてくる物が嘘でないといっている。
「な、なんでじゃあ?」
よほど、他の男とねんごろになっていたほうがよい。
そんな、女いらんわと諦めがつく。
ところが、神の勝手?
きのえのうらぎりでない以上、諦めるに諦められない。
他の人間の男ならたちうちできようが、神相手では指をくわえてみておるしかない。
「おやじさん?」
勝源は膝を正し藤太の前で頭をついた。
「神はあふりをくらわすといいおる。命あってのものだねとおもって、
なかったこととおもってくれぬか?
わしが息子にしたいとおもっておったおまえじゃ、
嫁の成り手はたんとおるともおもう。だから・・」
―きのえがことはなかったことにしてくれー
これが一番辛い伝え事なのだ。勝源の肩も腕もふるえていた。
「おやじさん。俺はきのえがことはよう、知らん。
ゃがのう。おやじさんをみておっておやじさんの娘ならまちがいはないとおもうておった」
藤太が惹かれた勝源の人柄はきっと、むすめのきのえにも流れ込んでいる。
「それが、証拠に・・」
ぐと唇をかんだ藤太である。
「それが、証拠に神をも魅了したんじゃろうが?
そんなきのえを俺なんかにくれてやろうと云うてくれた。
父さん。俺はそれだけでもありがたいとおもっておる」
「そうおもうてくれるなら。きのえとは、なにももなかったんじやとおもうて」
あきらめてくれという勝源に藤太はくびをふった。
実際なにもなかったことが、いまさらになって、くやまれる。
「俺が、さきにきのえをとっておったら、こうはならなかったのではないか?」
「それは・・」
わからないことである。
「俺は、親父さんの人柄に惚れてきのえがことをもらおうとおもったに。じゃから」
その勝源が藤太を見込んでくれた。この恩情をかえすことがきのえをめとることだとおもっていた。
「じゃから、俺はおんしらずにはなりとうない」
人の情をありがたいと思う藤太だからこそ、きのえをやりたかった。
眦に湧いてくるものを落すまいと勝源はぐいと眼を閉じかっと見開いた。
「わしとお前はほんの親子にはなれなんだが、おまえのその気持ちだけで、
親になれた以上に思えて貰えたとおもいおる。ありがたいとおもうておる。じゃから」
じゃから、きのえのことは気にせずとも良いという勝源の前で藤太はうなだれた。
『そうは行かぬ』
藤太が胸の中に神に攫われた娘を救い出したいと思いがおこりのようにかたまる。
時を経て、此処から千年先の事になる何代もの生まれ変わりの後の世、
蛇神が見初めた娘をすくいだす一人の男の芯になる思いが此処に生じるのである。
『親父さんが、よろこんで、神にきのえを差し出したいというなら、ともかく』
藤太が事が無念で仕方がない様子は、勝源の苦しみだけをあらわしている。
『きのえをさしだしたくないのだ。だからこそ、攫われたというたにきまっておる』
神に見初められた事を喜んでおればおのずその口先からちごうて来る。
『それを知って::俺はどうにもしてやれぬのか::?』
無念の思いが胸を断ち割り臍下丹田、魂にまで響く亀裂をつくる。
魂にまで、刻み付けられる無念を抱えた藤太とは知らぬ勝源は最後に
「達者でな」
と、別れをつげた。

その藤太が山にのぼったという。
「ようも・・・」
黒龍にしろ、おまえにしろ、憎き神であるが、白蛇神にしろ、きのえがことをようもおもうてくれる。
自分の娘がなにゆえ、こまで人だけでなく神にまで思いをかけられるのか、よくはわからない。
しずが岳に眼をやれば、勝源の眼の中で黒い溶岩の塊が蠢き、うねるたびに亀裂から真っ赤な熱焔が吹く。
怒りと苦しさと悲しさだけがいまの黒龍のすべてでしかない。
「きのえ」
いっそ、誰の物にもなってはならないのだと。
お前が与える物は業と苦しみでしかないのだと。
わが手で、帰ってきた娘をくびり殺すしかないのかと考えそうになる。
あわてて、めをつむり、耳を塞ぎ、記憶を藪に伏せ、勝源は家に入った。
「勝源」
婆がにじりよってくる。
勝源の顔をみると、小刻みに首をふる。
「なんねえよな。なんねえんだよ」
婆が念仏のように繰返している言葉の意味はよくわかっている。
神の手に落ちた娘はさしだすしかない。
勝源に諦めろという。
親である。なにもいわずとも、勝源の顔を見て、勝源の心中をさっするとみえる。
「なあ。なんねえんだよ。なんねえんだよ」
どうにもならない。どうしょうもない。何も打つ手はない。
勝源の腹の底をみすかしている。
どうにかできないか。
これをもっといえば、今はあの哀れな黒龍にきのえを返してやりたいともいえる。
この思いをほりさげれば、白蛇神なぞやりたくはないということだけかもしれない。
神にわたすしかないなら姑息なまねをしくさる白蛇になぞくれてやりとうない。
どうにか、それだけは回避できぬか。
なんぞ、法がないか。
この勝源の思いを婆はみすかしている。
父親の感は、黒龍を良しとかぎ分け、白峰を悪しと見限る。
これはあながちあたっていないことではないが、神が争いあっていると知らぬ婆は
ただただ、きのえを攫っていった神に逆らう事、従わぬ事に畏れ、祟りをあんじている。
『我が子可愛さで、婆までがきのえをあきらめろというか』
その自分もきのえかわいさで、あふりをおこすという白峰にさからおうとしている。
だが、それも。
きのえが白蛇神の方がいいと言い出せば変わる物でしかない、親の勝手な憤怒でしかない。が、
『とにかく、きにいらない』
白峰のやり口が逐一癇に触る。
己勝手なやり口できのえをかすめとり、無理矢理わがものにし、
はてには、この先のきのえをさしだせとおどす。
「きのえがおまえなぞになびくわけがない」
きのえが返される日まで、勝源はそう信じていた。

七日目の朝が過ぎ七夜が過ぎた。
勝源は玄関の前にでて、しずが岳をみあげた。
黒い塊が一点にむかいおりてゆく。
白蛇神がきのえを伴い結界からいでくるのだろう。
『黒龍。うばいかえしてくれ』
いつのまにか、勝源は黒龍に祈っていた。
『そして、この手にきのえを返してくれ』
きのえを思うおまえなら、勝源のきのえを思う気持ちもわかろう。
きっと、黒龍ならきのえをかえしてくれる。
かってな願いを込めて勝源はいのるしかなかった。

黒龍が降りた先に白峰がたちつくしていた。
「黒か」
黒龍を見咎めた白峰は皮肉な言葉で牽制をあたえる。
「祝いにきてくれたか」
白峰はきのえを我が物に勝ち取った余裕をただよわせる。
「ちがう」
否定はしたものの、黒龍に焦燥が浮かぶ。
あっさり、白峰は喜びをみせている。
このさいわいをおまえもよろこんでくれるだろうという。
つまり、きのえにとっても、さいわいになったということなのか?
白峰に『お前に渡さぬ』とでもいわれれば、きのえの中に黒龍への思慕が残っていると判断できる。
ところが黒龍の予想を覆す白峰の喜びに上気した顔をみると、
邪恋を仕掛けたのが白峰でなくなり、まるで黒龍のようにさえみえる。
かてて、きのえのなかには、とっくに黒龍への思いなぞなくなって、
二人は昔から通じ合っていたいたようにさえみえる。
―きのえをかえせー
と、いえもしない白峰の状態に黒龍はきのえの姿をみるしかないとおもった。
「どうした?」
きのえを捜す黒龍の目を追いながら白峰はきずかぬふりでたずねる。
黙り込んだ黒龍に
「きのえか?」
と、たたみかけると、不意に白峰はわらった。
「黒。今更、きのえに本意だったというつもりはなかろうの?」
「いや」
言葉がにごった黒龍に白峰は止めを刺すかのようにいいはなった。
「きのえはもう、おまえのところにゆくことはない」
白峰一人の断言に引き下がる黒龍ではない。
「きのえの口からいわれるまでは、しんじられぬ」
「ほおおうう?」
思ったとおり黒龍は白峰といさかうかくごでいる。
「きのえのくちから、きかせてやりたいが、むりだな」
「とりつくろえぬということか?かたるにおちたな」
きのえがじかに黒龍に合えば本心が白峰のものでないといいだす。
こういうことだなと、黒龍は白峰をねめつけた。
黒龍の瞳を面白そうにながめながら、白峰がいいかえした。
「今更己の心に気がついて哀れ取り乱し盲なっておるようじゃの」
「なんだと?」
「きがついておらぬか?」
あたりを見上げ白峰は手をふりかざした。
「我らにはなんでもないこの瘴気。黒、お前がいまさらきのえを失って、
おとしたものであろうが、この瘴気の中にきのえをたたせるわけにはいかぬだろう?
それさえ、思いやれぬほど、己の闇にほたえまわったか?」
「あ・・・」
「それとも、我が物にできぬなら、きのえをいっそ殺してしまおうとかんがえたか?」
「う・・・」
返す言葉がない。
「女子に惚れた事がない男はあわれなものよの。わが心だけが大事でしかない。
そんな男ときがついたきのえが、白峰の心をうけとうなるのは当り前の事だろう?」
ぶるぶると震えながら黒龍は拳をにぎることだけが精一杯だった。
「黒、其の拳、どうするつもりだ?きのえの心を奪った白峰を打つ気か?
きのえの心に答える価値もない男のめめしさはみぬふりか?」
女々しい。確かに女々しい。
だが、この女々しさをみせても、きのえに合って確かめるしかない。
白峰と対峙していても拉致があかない。
「白。お前になんと詰られようがわしはお前に言われても信ずる事が出来ぬ」
「ふん?きのえにあうというか?」
「きのえに、おうて、じかに聞かれては困るか?」
きのえの本心はやはり、違う。白峰のものではない。どうしてもそうおもえる。
だが、黒龍の思い巡らしを察した白峰はくすりとわらった。
「困るの」
「そうか。ならばなお、おうてきいてみねばなるまい」
きのえの本心を確かめればきのえは黒龍のもとにかえってくるということではないか。
「わしが、困るというのは、七日七夜の理をいうておる。
この理を使行する権限がお前にもあるということをいうておる。
きのえがいくら白峰が物になっておっても、神格のおまえはこの理を使行することができる。
たとえ、其の後にきのえが白峰のもとにかえるとしても、
どこの男が惚れた女子を他の物にわたさねばならぬ」
「ば、馬鹿にするなーーーー」
黒龍の怒声がひびきわたった。
「きのえに己の欲をすりつけたのはおまえのほうではないか」
荒々しく詰る黒龍にむけた白峰の眼は静観そのものでしかなかった。
「世迷言をいうておれ。今の今までお前は何をしておった?
この白峰の結界がなければお前の瘴気にやられてきのえは死んでおったわ。
己のよくづくでしか動いておらぬ男がきのえにおうて、その欲をすりつけぬ?
たわごとにおどろされて、きのえにあわすわけにはいかぬわ」
「いかぬ?お前に其の裁量をうごかすことはできぬだろうが」
「確かに。一度はきのえを返さねばならぬ。だが、
すぐに我らはひとつのものになる。そう、きのえがのぞんでおる」
黒龍の喉がぐるると動き、荒々しい声をおさえこむと抑揚をつけずに白峰につげた。
「きのえにじかにきかねば、しんじられぬというたであろう」
「好きにするがいい。だが、もし、お前がきのえに七日七夜の理をつこうてみろ。その時は」
「『その時は』は、なんだという?」
天地を裂く争いがはじまるだけでないか。
黒龍の思いにかくごがみえる。
「そこまで、きのえにほれてくれておるか?」
その女子が哀れにも白峰のもの。
「まあ、よかろう」
いくら、黒龍が思いをはたそうとしても、
きのえに拒まれれば一層虚しくなるだけである。
白峰も黒龍と云う男が女子に無体が出来ぬたちとみぬいている。
きのえが黒龍にほだされはせぬという自信にくわえ、
黒龍には無体はできぬという予測が白峰に余裕をつくらせていた。
祠の中に入る白峰をみとどけると、黒龍は空に舞った。
白峰はきのえを球い結界の中に閉じ込め、きのえを送り届ける。
あふりの舞った地界からきのえを護り、
勝源の元におくりとどけるまで、七日七夜の理が完遂しない。
きのえを包んだ球い結界を大事に抱いて空を舞う白峰が
やがて、勝源の元におりたつまで、黒龍は白峰をみつめつづけていた。
posted by 憂生 at 11:21| Comment(0) | 16話 洞の祠 ・白蛇抄・  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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