絹はうつむいたまま、数馬にたずねた。
「御社の瑠墺と云う、男はなにものなのですか」
数馬に尋ねなくとも、もう直ぐ有馬は御社の瑠墺にあうことになる。
「俺もはっきりとはわかっていない」
和国天領の自社仏閣の総帥の位置にまでのし上がった男が、人の定めを読むときく。それが御社の瑠墺とよばれているということしかしらない。
「その男に逢って、何がわかるというのですか?」
「さあ・・・」
人の定めを読んでみたとて、何の益になるか。
例えば、和国と共に滅ぶと教えられたとて、何のてだてがうてよう。
仮に渤国との戦いに勝利するといわれないからとて、戦をやめてどうなろう。
是と同じように先の運命がわかってみたとて、今更渤海に潜り込む事をやめるわけもない。
「ただ・・・」
数馬は自分の考えが荒唐無稽すぎて、口にするをためらった。
「なんですか?」
いつかもこんな事があった。
数馬は黙り込むと中々、口を切らない男なのだ。
絹はゆっくりと数馬を待った。
「うん・・・」
自分の考えを頭の中でなぞり返してやはりそうなのだと数馬は喋りだした。
「星が人の宿命を語るというが・・・俺は人の思い如何で星もかわるとおもうのだ」
絹は首をかしげた。
「つまり、もっと言えば御社の瑠墺と云う男はどうすれば星を変えれるかをしっているのではないかとおもう」
絹の瞳が大きくみひらかれて得心の色を表す。
「どう思えば星、つまり運命を変えてゆかれるか。是を知らずして、人の命を救う事などできはしないだろう?有馬さんは御社の瑠墺が女子をすくったといっていたが、これもそうだと思う。何らかの思いを変える事で星をかえることができたんだとおもう」
胸にしんと数馬の言葉が沁みる。
今の今まで運命を変える事なぞ考えだににしなかった。
だから、心の底で、量王の愛人にしかなれない姉を憐れだと思っていた。
いつか、量王は正妃をえる。
姉こそこの運命を知りながら、己の先行きを知りながら、量王に近づいていった。女に見合わぬ県政欲ゆえなら、愛人の立場も覚悟の上と黙った。
だが、憐れに姉瑠璃波は初めの思いを逸脱していた。
絹が姉にいわれるまま、この和国に来たのは量王を愛し始めた姉を見るのが辛くなったせいでもある。
絹は自分が量王の正妃を担う星の宿命を抱いている事なぞ知る由もない。
姉の立場が少しでも量王の寵愛を受けるに役に立つ為だけに絹は和国に来た。
「か・・かえられるというのですか?」
心持絹の声がうわずる。
「どうした?なにが・・きにかかるという?」
数馬が絹の心の中にある何かを見逃すはずも無い。
「いえ・・」
何も晒さず黙る絹に数馬はしゃべりだした。
「こんなことを思ったのも、お前だからだ」
数馬の言葉の意味がつかめず絹は数馬をただ、みつめた。
数馬には絹がどういう事かと問いかけたいのがわかる。
「お前の宿命が量王の間者で朽ち果てるしかない物だとしても、俺と云う一石でお前の宿命をかえたいと思ったにすぎない」
数馬に言われた事は有馬の言葉に通じる。
「何よりも絹さんが大事。量王への忠誠も絹さんがいきておればこそ。こんな事などにのつぎなのですよ」
そして、有馬が重ねた次の言葉が、「絹さん。いきてこそです:::」だったが、にこりと微笑んだ有馬が赤子を胸に抱くしぐさをみせた。
それは量王の為に命を散らせるか、新しい命を育んで行く平凡な女としていきてゆくか。絹の選択の道はいくつもある。と、いわれた気がした絹だった。
それでも、宿命をかえることが出来ない絹を、数馬はかえてみせようとしている。
『あ・・あなたにとって、絹はそんなに、そんなにだいじなのですか?』
量王の道具になるだけの命に、敵である筈の男が道具に出来ないと苦悩する。
「あ・・・」
何を言おうとしたか、絹は忘れた。
伸びてきた数馬の手に引きよせられ、しゃにむに絹を求めだす数馬を受け止める絹は、数馬に与えられる心に「生きている」自分を見出し始めていた。
翌朝早く宿をでると一行はこの先の行程を確認しあった。
「まず、神津山をこえる。この先道は二本に分かれるが北道をえらぶ」
北の道はけわしい。
だが、都への最短距離をもつ。
海路を選べば、安全は保障されるであろうが、日数は着いた港からの迂回をふくめると、北路の三倍はかかる。やむを得ず陸路を選んだ有馬達はさらに大湖の南を周遊する平坦な道と都に一直線に伸びる山路とのどちらを選ぶかを考えた。大きすぎる湖を廻る道とて山路のゆうに倍の日数を要する。
「女子の足には、つらいかもしれない・・」
が、有馬の胸に沸く不安は一刻も早く御社の瑠墺にあえと囁いていた。
この不安に素直に従う事で有馬は間者の襲撃を何度ものがれて生き長らえている。
今までの通り越しで自分の感を信じるだけの裏打ちが出来上がった男は、是に従いたい。
不安の実体がなんであるか、判らないが、仮に間者の襲撃だとしても確かに是に備えるための人員が有馬の側にある。
が、それで何の難もないなら、こんな不安も起きるはずも無い。
人二人が並んで通るに精一杯で、馬や荷車を交わすにも履行する場所を選べず山肌によじ登ってかわすしかない。
こんな山路は間者の襲撃もかわしやすい。
「それでも、命だいじですから・・」
生きて御社の瑠墺に合う。
一刻も早く逢わねば成らぬと急激に思わされるのは、山路を選ばせるだけのためのものでしかないかもしれないが、有馬は時間の短縮と多少の安全の確保という両得になる山路に自分の運命をゆだねたといって過言でなかった。
「だいじょうぶです」
絹は有馬に心を使わせる「女」であるという自分の性を、不思議に思った。
才蔵はこの性を武器にしろといった。
数馬はこの性に男として対峙する。
有馬は絹が女である事だけで既に絹をきづかう。
絹が女であるだけで労わられる。
女でしかないのに、女である事を大切に思われるとは、絹も思ってもいなかった。
歩き出しながら絹は有馬が御社の瑠墺にあいにいく大事な用であるのに、数馬に自分をつれてゆかせるのを許したのか聞きたくなった。
女の足ではと云うくらいだから、絹が同道するだけで、足手まといになろうと思える。
「有馬さんは・・」
急に突然、いまさら、こんな事を尋ねるのもおかしい。
絹はどうきりだしてよいか、まよった。
「なんですか?」
絹を振り返った有馬の瞳は優しい。
「あの・・」
「はい?なんでしょう?」
あまりに穏やかな有馬の様子に絹はどっちでもよくなった。
絹を連れ行く事を許した中に有馬のなんらかの謀もあるのかもしれない。
御社の瑠墺へ絹と云う間者を手土産にするにしても、絹なんぞ、草の草でしかない。
単に数馬に一緒にゆくと頼まれたのをあの調子で応諾しただけかもしれない。
なんにせよ、是もその内みえてくる。
「いえ。私が足手まといに成っているのだと思うと」
絹が有馬にたずねたいことをべつのことでつくろった。
「え?」
とんでもない。思ってもみなかったと有馬が頓狂な顔になるのを見て絹はやっぱり、聞かなくてよかったと思った。
少なくとも有馬は腹に何かすえておける人間ではないと、此処暫くで感じ取った絹は、有馬の顔をみて、やはり、他意はないと信じた。
人を信じさせるに図抜けた叡智がこれを可能にさせることがあるが、有馬はむしろ、まぬけている。
間抜けすぎてこの人間は底が抜けていると思う。
底の抜けた人間は知恵で人を信じさせることはできない。
しいて言えばぬくみがある。底の抜けた器は物を溜める事が無いから、器の中はいつもかっらぽで、どんな事でもうけいれてゆく。
有馬の中を通り抜けたものは有馬のぬくみを知り是に魅了させられるのであるが、底の無い人間は腹に悪意や謀さえもっていられないとみえた。
「御社の」
孝道はときに瑠墺をそう呼ぶ。
宮中の中庭。
えんじゅの木の根方に静かに眠る菩提に手を合わせた孝道は
御社の瑠墺もまた、孝道と同じに手を合わせ終わるのを待った。
「崩御もひたかくしで弔廟に祭る事もかなわぬ。我らは公に悼むことさえできず、いつまでえんじゅの根方を薫王の褥にしておくつもりでいるのか?」
腹の底に薫王に殉ずる決意を忍ばせた男は静かにではあるが、引きを許さぬ
口調で御社の瑠墺に問いかける。
「もう、しばし」
崩御をあからさまにすれば、孝道は共に渤国にせめいる同士を集結し始める。
孝道と居並ぶ重臣の名の下一糸報いなからばと志を同じにする者があっという間に集まり、和国は戦火に飲まれる。
結果亡国をはやめるだけである。
だが、亡国の兆しが和国に大きな皹を入れ始めている事を知っている
孝道はわが命を消滅させるなぞ、既に惜しむきもない。
「どう・・しばしだという」
この先じりじりと決起を伸ばしてみた所で何がかわるという?
孝道の皮肉な問いかけに御社の瑠墺は不意に空を見上げた。
中庭は御社の瑠墺の頭上に抜けるような青空を四角くきりとっている。
「・・・・」
御社の瑠墺の行動は何を言いたいのか。
天意をみはからっているという謎賭けなのだろうか。
「今はみえませんが、星の様相があの時と随分かわっております」
あの時と云うのは君主、薫王の崩御の時をさす。
「大きな星が落ちた後、天空は新しい星が代頭しようとせめぎあいをくりかえすものです」
今まで巨星の影で目立たぬ光を輝かせていただけの星が急に光りだす。
「それで?」
孝道はせせら笑いを隠す。
「量王の星を追い落とす新星があらわれたとでもいうか?だとしても
結句和国の運命はかわりはすまい?」
大国ドーランと渤国にはさまれた和国に、たとえどんな星がうまれようと
いずれはどちらかの国に飲まれる。
海洋術が発展した今大洋の護りはあてになるものでなくなり、今までのように和国は自国だけの政の上に胡坐をかいていられなくなった。
たとえ今、和国が存続出来ても、いずれのち、早いうちに和国は消滅する。
是を知っている孝道は御社の瑠墺の読みを笑いたくなる。
「そんなことよりも・・・」
孝道は己の死に場所を探したいだけだった。
和国の運命の終焉を己の命の終焉の中に囲みとりたかった。
「おもしろいことがおきております」
御社の瑠墺は孝道の思いにきがつかぬふりで、孝道の機先をせいした。
「おもしろいこと?」
はからずも孝道は御社の瑠墺の足掻きを聴いてやるつもりになった。
「ええ。是を観てから死んでもおそくなかりましょう」
「ほう?」
生き長らえて見る価値があることとはいかなることであろう。
孝道は自分を引き止めようとする御社の瑠墺の口述を死に土産にするくらいの気で耳を傾けだした。
「各地に間者を狩ろうと自ら結社しだした志士集団があるのはご存知ですか?」
孝道も聴いた事がある。応とうなづくと
「外地の者が、拠点にするのが港南の都です」
名前の通り大きな港がある、入り江が深く、水深も深い。大きな船が寄港できる和国唯一屈指の貿易港である。
「この間者が降り立つ前線とも言える港南に特に多くの志士蓮があつまっているのですが・・・」
孝道は首をかしげた。
そんな事を知ってどうなる今だと思ったが、一先ず御社の瑠墺の話を最後まで聞いてみようと思った。
「この志士蓮の中枢になる男が有馬兵頭と云うのですが、この男がもう直ぐ此処にやってきます」
それらをも仲間に引き入れて開戦せよとでもいいたいか?
「ふん?」
と、孝道はあざけ笑った。
突如現われた志士なぞを当てにする気はない。
ましてや志士蓮は和国の活路を切り開こうという輩である。
孝道が死に場所を求める決起とはもともとの質が違う。
孝道が志士蓮と共謀する事は志士蓮には犬死をかせるにひとしい。
だが、御社の瑠墺は孝道の笑いを聞きとがめもせず、
「この有馬が渤国の間者をつれてきております」
捕虜、虜囚というところだろうか。
だが渤国の間者の口が堅いのも孝道とて熟知の事である。
無理矢理口をわらそうとすれば死もいとわず量王への忠誠に殉じる間者の生きざまこそが孝道に渤国にはむかってみても勝ち目がないと悟らせてもいた。
「この間者は女子です」
女子供まで量王に命を託す。ますます、和国では勝てない結束を思い知らされる孝道はついとその場を去ろうとした。
「この女子は量王の正妃になる宿命を持ってうまれてきているのですが・・・」
御社の瑠墺の言葉に孝道は立ち上がろうと力を込めた膝をゆるめた。
「正妃になる女子が間者につかわれるというか?」
孝道が立ち上がるのを止め耳を傾けだす姿に御社の瑠墺はにこりと微笑んだ。
「私もおかしなことだと思いました」
ゆえに、瑠墺は改めて星をみつめなおすことになったという。
「量王の横には星読みがはべっているのですが、どうやら、これがおなごなのです」
「なるほど」
量王の星読みは己の座を護るために正妃の宿命を持つ女子を間者にしたてあげ、和国においやったということであろう。
星読みが自分の領分を弁えず、量王の寵愛を独占したくなったとしても、これも女子のもろさであり、量王がいかに、うかつに星読みに女を求めたかということである。
「女には脆い男でしかないということか」
破竹の勢いで四国を掌握していった量王にも弱点があるとみえる。
孝道は愉快そうな含み笑いでいくばくか独り言めかしながら瑠墺にたずねた。
「傾国の美女となるか?」
御社の瑠墺は孝道に答えず、逆にたずねかえした。
「孝道さまはどう、おもわれます?」
「その間者とやらをみてみたいものだな」
宿命と云う物が、星読みひとつの謀反で簡単に覆されるものだとは思えない。
間者の運命がどうかわってゆくのか。大河の中に咲き得る華か?
量王の正妃になるべく女子を見て見るも一興ではあったが、孝道はいそはらへの道を歩むときめている。
どんな華かみてみるだけだなと孝道は思った。
「私には、宿命を変える事はできませぬが、個人の運命は本人の思い如何でかわりえるものだとおもっております」
「ふ?すると、量王の星読みこそが渤国をほろぼすこともあるというか?」
「ええ。のぞまぬことで、あるでしょうが」
孝道は唸った。
「つまり・・・」
「ええ。有馬が連れてくる間者は、渤国と和国の明暗を覆しうるかもしれない存在ということです」
孝道は言いかけた言葉を飲み込んだが御社の瑠墺の言う事への理解と肯定を指し示すために口にしだした。
「いっそ、それならその間者を始末してしまえと思ったが、それでは、星読みの思う壺であり、宿命が潰えた時その星読みこそが正妃の宿命をつかさどるともかぎらぬわけだな?」
「そのとおりです。量王の正妃と云う宿命を抱えた女子がいてこそ、星読みは量王の運命を己が手で揺るがせる存在にもなりえるのです」
「ふむ」
「事実、空の上では量王の星に蔭星がしのびよっております」
「ふむ?」
星の事になると孝道もうなづくばかりである。
「本来、正妃が座す場所に蔭星が近寄れたのも、星読みが量王から正妃をとおざけたせい・・・」
おし黙った御社の瑠墺に孝道もまた、くちをつぐんだ。
『その蔭星が、誰であるかわからぬ瑠墺ではあるまい』
量王の命を狙う男は他にもいるだろうと思いながら、我が手でこそ、量王を始末したいと考える孝道は御社の瑠墺が明かさぬ蔭星の主の名こそが我が名と思った。
「おききにならないのですか・・?」
御社の瑠墺も孝道が蔭星の主をきいてくるものとおもっていた。
「だれにせよ。量王を軋ませる存在があるというなら、決起の時期を待とう。すべては、御社の、お前にまかせよう」
今度こそ立ち上がった孝道に御社の瑠墺は深く礼を返し孝道が園庭を去るを見送った。
中庭に降り立つ階に足を乗せたとき孝道は瑠墺を振り返った
「その間者とやらが着いたら、しらせてくれ」
と、わらい、
「このむさい年寄りでさえも、一国の妃、量王の正妃なるものがいかほどのものか。男として、きにかかる」
まだ、まだ、生きる事に執着があるようだなと自分に頷いた孝道は
長らく欲を漱いでおらぬわと一人つぶやいた。
孝道を見送った瑠墺は、再び空を仰いだ。
夜に姿を見せる星は、人の人生の知らざる部分を語る。
孝道に語らなかった蔭星の持ち主が瑠墺を尋ねてくる中の誰かである事はわかっている。
量王の星に影を落とす事が出来る存在は量王の正妃をえるべくして現われたに過ぎない。
ところが、これが、量王の星に影を落す。
と、ならば、考えうる事は量王の光芒も今が限度ということである。
あとは、この正妃が持つ元々の宿命に量王の星がてらされてゆく事で盛華をきわめてゆくと読める。
つまり、渤国の栄華は正妃の宿命に支えられる物であり、真の渤国の王は正妃であるといって過言でない。
その正妃を掠め取ろうという星は量王の星に立ちはだかるしかない。
是が蔭星である。
この蔭星を量王の星の前に登場させたのは孝道にも言ったとおり量王の星読みであり、いまや星読みは己が作った大きな誤算を抱かえもがきくるしんでいるというところだろう。
だが、量王ほどの運気の強い男がかくもあっさりと自分を護る正妃の存在を
遠ざけさせられることになったのか、星読みが正妃の実の姉であることまでは、嗅ぎ取れぬまま、男と女の情縁が運気まで左右する事に御社の瑠墺は白眉をひねった。
そして、蔭星を持つ男がいまや男と女の情理で正妃の宿命を変えている事も
御社の瑠墺には不思議に思えた。
男と女の宿命が、身体一つの結びでかくも変転をきざせるものかと思うほどに妻をもたぬ男は執着の闇をも知らず、闇からぬけでる光明をもとむるにも無縁すぎた。
結句、命の始まりが男と女の情理がうみだす技なれば、この世の全てのいきとしいけるものの法則は男と女の情理に帰結する。
『在るがままの自然の情を求めているだけに過ぎないのかもしれない』
その横に煩わしい宿命が就いて廻る。正妃にすれば、国の存亡などより壱個の女として愛され生きてゆきたいだけなのかもしれない。
「あたら、星なぞ、読めるばかりに人の感情にうとくなるか:」
口の中で笑うと御社の瑠墺はやってくる有馬達を迎える支度を整えるためにも自宅にもどることにした。
孝道と同じ。確かに御社の瑠墺も量王の正妃の宿命を持つ女子を見てみたかった。
そして、その宿命ごと量王から女子を奪う蔭星の主にはもっと惹かれる物があった。
「あと、ふつか」
御社の瑠墺は有馬達がやってくる日に検討をつけていた。
大きな湖は望月のかけた格好である。
垂線には湖のきわで聳え立つ孤高の山々が連なり大きな屏風をつくっている。
膨らんだ弧は平坦な平野と喫水しており、湖からの疎水が畑に肥沃な実りを与えていた。
確かに弧を廻る道はなだらかであるが湖が抱いた弧はおおきすぎた。
湖を迂回して一端北上してから帝都に入る道は賑わい、道端には旅人を癒す宿も充分に完備されており、なおかついくほども歩かぬうちに、次の町がみえてくる。
それがどんなに旅人をささえるか判っていたが、桧田に尋ねて得た、最も帝都に早く着く道を選び歩いた有馬達は、湖の屏風板の後ろにそびえる山を登りつめ、山路の行程はくだりにかわっていた。
「勝手に足があるきよるわ」
急な坂が足を運ばせる。小走りに駆け下りる道は、もう少し大きな曲がりくねる道の曲がり鼻で、上下、ほぼ一直線に山肌を縫う近道である。
絹が足を滑らさぬようにと、数馬は絹の前をあるいては、絹を振り返る。
「俺が歩いた所をふんでゆけ」
歩幅が違う絹の足にあわせて数馬は足を下す場所を諮る繊細さをみせている。
ともすると、滑りそうな土の渇きがある場所は数馬が絹の伸びてきた足と取り替えては歩を進める。
この山路を歩く絹は数馬に掛けられた声にある暗示を覚えていた。
―数馬・・?の人生の歩をもふんでゆけばいいー
言葉や理屈では、判らない。
擁護される女と擁護する男の行動が絹の心に頭でない理解を生じさせる。
登りは登りで絹の後ろで絹の足取りを見守り、片時も離れず絹を護る男は、絹に「護られるべき女」でしかない絹を教え込む。
やがて道はなだらかな裾野にかわり、山の上からみえた帝都の姿を平原の遥か向こうに隠し尽くしたが、帝都はもう直ぐだった。
『天然の要塞なのだ』
大きな湖と険しい剣の山に抱かれた平野の地を遷都した王が護ろうとした物が、崩れ去る日が近い。
その時、数馬はなくだろう。
絹はそっと、溜息を付いた。
和国を量王の手にささげるため動く女は数馬を傷める。
『でも、その時はあんたを痛めつけた女も・・』
生きていないだろうと思った絹の胸に有馬の言葉がうかびあがり、ずきと痛みをあたえた。
『そんな風に死んじゃいけないって、いってくれるんだよね・・でも』
量王への忠誠は姉の幸せをのぞむせいなのか、
単に姉があわれだったせいなのか、いまの絹にはさだかでないが、有馬が見せた赤子を抱く仕草は姉こそが掴むべきものだと絹はおもいなおしていた。
帝都を囲む壁は高さが裕に九尺はあろうか。
壁に伸びる道の前に大きな扉がみえ、門兵が長い警邏棒を身体の脇に並べて二人つったっていた。
扉の向こう側にも、同じ姿の門兵がいることだろう。
門兵は近寄ってくる五人を、起立したまま、みつめていた。
「港南からやってきました」
とわれるまま、どこからきたか、帝都に何の用事があるかを有馬は門兵にこたえていたが、御社の瑠墺の名前がでると、
「有馬兵頭様ですか?」
と、門兵の方が既に御社の瑠墺の通達をうけていた。
「そのとおりです」
有馬が門兵に頷くと、門兵は一行が有馬たちである事に直ぐに気がつかなかった非礼を詫びた。
「こちらからいらっしゃるとおもっておりませんでした」
一行の中に女子がひとりいると、聞かされた門兵はよもや、山路を突破して帝都にはいらぬと勝手におもっていた。
門の閂が外されると、帝都への訪問者を刻念に調べ上げようとばかりに開け放たれ扉の前で、中の門兵はお互いの警邏棒を十字にくんで、有馬達の侵入をさまたげようとしていた。
「有馬兵頭さまです」
有馬の後ろで門兵が大きく叫び
「瑠墺様のお達しの通りにすぐに」
と、付加えられると、中の門兵は顔をみあわせていたが、警邏棒を手から離し地に置くと有馬の前にひざをついた。
「瑠墺様の御社にご案内いたしたくおもいます」
ありがたい申し出である。
「まだ、玖宇羅の地まで半日はかかります。今日の所はまず、この地で疲れを癒していただき、明朝、私どもが改めてご案内させていただきます」
瑠墺の屋敷がある在郷は玖宇羅の地と呼ばれているらしい。
桧田らの同意を目で確認すると、やっと、有馬は門兵の申し出に頷いた。
「では、まずは、宿に」
門兵はたちあがると、有馬達の前をゆっくりと歩き出した。
「どうぞ、ついてきてください」
と、言われるまでも無く、夕飯の準備を始める辻店からの匂いは空腹を一層意識させ、一行のすきっ腹は夕餉にありつける宿に向かう足取りを軽くさせていた。
『天文敦煌』なるものは、瑠璃波の星読みとさして質がかわらないものである。だが御社の瑠墺は是に古神道の修行を加味させている。
世に言う霊媒師や霊能者とも違う。しいて言えば巫女と云う宣託者に近くある。古神道の奥儀を納めた男は時折であるが、ひょいと遠隔の地に居る見知らぬ人間をも実像で結ぶ事がある。
御社の瑠墺がまなこの裏で実像を見ようといくら、思念をいつにし願を掛けてもひとかけらも像をむすばない。
くせに、天意なるか神意なるかは瑠墺の意識できうることでないが、正に天啓とでも、いうか、突然、御社の瑠墺の脳裏に実像がむすばれることがある。
いまの是が、そうであるのだろう。
哀しい顔はゆえに一層秀麗である。年のころは二十に足す事四つ、五つだろうか。長い髪は神秘の力を高める巫女のようにさんばらと肩をなでおろしている。と、なれば是が量王の星読みにまちがいがない。
正妃を量王の足下から追いやった女にしては、どこにそんな謀反を思いつくかと思うはかなげな面差しが一層、星読みの運気の弱さをものがたっており、
御社の瑠墺は思い描いた星読みの姿と程遠い女に、あわれさえかんじていた。
もの寂しい顔は量王の寵愛を掠め取った己の業の深さになくせいか。
結ばれるべき正妃をしらずのうちに失う量王への懺心のせいか。
それとも、偽の寵愛でしかない事を知る女の悲しみのせいか。
ふと、くぐもった顔がぐいと空をあおぐと、多分是が星を読む時の顔だろう。
眼差しに鋭い光がさし、瞳に蒼色の輝きを移しこんだ女は酷くなまめかしく
妖艶にみえた。
量王を望む女と量王に向かう女の様変わりが見えた瞬間、瑠墺の中の実像はとぎれた。

