2006年11月30日

洞の祠・・・4

うずくもり、かがみこむ、勝源は土に額をこすりつけた。 
勝源が臥して拝んだところで、 
争いの最中の神をとめることなど、できはしない。 
それでも、それでも、 
もう、勝源に法が無かった。 
祈り、拝むこと以外、なす術が無かった。 
長い間、頭を垂れていた勝源だったが 
ふと、ふいっと、顔をあげた。 
上げた顔が空の一角を凝視すると、 
勝源はゆっくりとたちあがった。 
言葉をなくしたまま勝源を見守り続けた男が 
声をかけるより先に勝源が先に口を開いた。 
「都に行く」 
「都?都にいって・・どうするきでおる?」 
勝源の唐突な言葉の中に切羽詰った思いが見える。 
男にも、悟ることが出来たのは、そのせいかもしれない。 
「天子様におうてくる。 
天子様ならば・・あれらをいさめられるかもしれない」 
天子様。 
文字通り、天の直系である。 
神代の昔から、天は人の誠に力を沿え 
大和の国に人型の天を分け落とした。 
それが天子様。天の皇子。 
人の誠の雛形になれかしと、 
天が人の世に置いた天子様の思いを動かすことが出来れば 
天もすめらぎの誠をあだにはせぬ。 
天はいつも、人の誠を量る。 
いわば、天子様には、天の守護があり、 
夜闇を引き裂いて争う神より、よほど、格が上であろう? 
その天子様がいさめてくだされば、 
あれらも、和にならざるを得ないはずだ。 
 
勝源の考えたことは確かに的を得ている。 
だが、 
「て・・天子様が・・あってくださるものか」 
「そうだろうか? 
人を、民を、思い、いつくしむ天子様ならば、 
この有様を知ればすぐさまにうごいてくださろう? 
ただ、この有様をおきかせするものがおらぬだけだ。 
お聞かせするに・・しのびない。 
あまりに、しのびない。 
人が苦しむも平気で神が争うを、 
さぞかし、お嘆きになるであろう。 
そして・・」 
勝源の声が低くこごまった。 
「その神の争いの元凶は・・・きのえ・・だ」 
勝源のこごまった声の奥に悲壮なものがみえる。 
「勝源・・? 
おまえ・・・」 
口にだせない。 
まさか、おまえ、きのえをば、殺す気であったのではないか? 
神をあらそわす元凶・・。 
それさえ、なくせば、神があらそう因がない。 
かくなるうえは、きのえを殺すしかないと 
空を見上げ地にひれふし、きのえをころさせないでくれと 
勝源は神にいのった。 
だが、争いはしずまらず、 
もはや、きのえを殺す以外活路がないと覚悟した勝源に 
きざしたものは、 
天子様の存在であったのだろう。 
会えぬかもしれない。 
会えるかもしれない。 
そんなことよりも、 
天子様という一縷の希望を見出し 
勝源が子殺しをせねばならぬと思いつめた考えから 
ときはなたれたなら、 
そのほうが、大事である。 
だが、もしも、男の類推した事が勝源の頭に微塵も無かったら 
いらぬ知恵をつける事になる。 
あるいは、きのえを殺せば簡単に解決するではないかと 
おしよっていくようなものになる。 
だから、 
男は黙り、近江の湖の惨状が 
天子様の耳に届くことだけを願った。 

旅支度を調えようと家にたどり着いた勝源の耳に 
婆さまの金きり声が届いてきた。
 
「きのえ・・はやまってはいかぬに・・」
 
婆さまの声できのえの一心を察すると
 
勝源は婆さまの声のするきのえの寝間に急いだ。
 
寝間に足を踏み入れると
 
案の定、きのえの錯乱がみえた。
 
肩で大きな息をしながら、帰って来た勝源にすがる目をしてみせた
 
婆さまの手には、きのえから、今しがた取り上げたと思う
 
小さな束があった。
 
「きのえ・・・。おまえが、死んでも争いはおさまらぬ。
 
お前が死んでしもうたら、あれらは間違いなく、お互いを憎み
 
どちらかが死ぬるまで、争うだけじゃ。
 
それで、事が治まるなら、わしもあるいは、おまえをわが手にかけようが・・。
 
争いに勝ちて、残されたどちらかの神の心の中の悲しみと憎しみは
 
ぬぐうことは出来ない。
 
それは・・・つまり、
 
神が命絶えるまで、あふりを上げ続けるという事に他ならない。
 
神が命絶えるまで・・この世は、この近江の地は、地獄のさまになる。
 
お前の死は無駄死にであるばかりでなく
 
この地に地獄の沙汰を招じいれるてつないをするだけになる。
 
それでも、死にたいなら・・死ねば良いが・・。
 
それよりも、争いをいさめる法を考えてみぬか?」
 
婆さまに小束を取り上げられ悄然のさまのまま
 
板土間の上に突っ伏していたきのえが顔をあげた。
 
「争いを?いさめる?」
 
そんなことができるのだろうか?
 
「わしはこれから、都に行って、天子様におうてくる」
 
天子様に?
 
天子様が・・おうてくれるだろうか?
 
きのえの不安をかぎとると、勝源は
 
「思い一心でお願いすれば、きっと、道は開ける」
 
と、自分にもいいきかせた。
 
「だが・・。その前におまえの思いを尋ねたい。
 
神が争うほどになったは、
 
ひとつにお前の思いの在所が定かでないせいであろう?
 
争いを錦の御旗でいさめるにも、
 
肝心のおまえの思いが定まらぬでは
 
天子さまにも、さにわのし様がなかろう?」
 
「吾の思い・・・」
 
呟いたきのえの顔には戸惑いしかなかった。
 
「なにを思いまどうておる?」
 
勝源に問いただされ、きのえは我が胸うちを改めて
 
覗き見る。
 
「吾は・・・」
 
複雑すぎる、胸の思いをどう纏めればよいか。
 
一言、どちらかの神といいきるにいいきれない、
 
定めるに定めきれない酌情の憂いがある。
 
 
「吾は・・・」
 
一番の不安は白峰の子を宿しておらぬかである。
 
たとえ、そうでなくとも・・・。
 
きのえの中に埋めこまれた白峰への発心は
 
いつ、火を噴くか判らない。
 
黒龍に抱かれた歓びの最中に吹き出た白峰への
 
発心がきのえをがんじにからめる。
 
この状態の吾が黒龍をば懸想するといえるだろうか?
 
それに、
 
「天子様がさにわなさるというは・・
 
あるいは、どちらかの神を討つということでしょうか?」
 
一言、吾が黒龍を望むと告げれば
 
白峰は邪恋の徒になる、と、こういう事だろうか?
 
邪恋の徒を討つという大義があらば
 
天は天子様を持ってして白峰を討たせるに殉ずる、と、
 
こういう事だろうか?
 
「きのえ、それもわしには判らぬ。
 
天子様がどんなお知恵をおもちになるか、
 
どんな、思いをおもちになるか、
 
下賎のものには推量およびつかぬ。
 
神の域、天の域に通じるお方であらばこそ
 
みえるものもあろう・・」
 
あるいは、黒龍を選ばば、白峰の討伐にあいなるやもしれぬ。
 
言下にふくまれるものが、
 
きのえの心をせめぎわななかせた。
 
「・・・・」
 
己さえ心迷わねば・・。
 
己さえ黒龍を振り向かせようと
 
あざとい奸心をもたねば・・・。
 
すべてが、己の弱さ。
 
誠の心を捨て去って姦計に頼り
 
黒龍をば、求めようとした己のあさはかさのせいで、
 
こんな阿呆のきのえに、誠の思いをぶつけたにすぎない
 
白峰を死においやる事など、できない。
 
一言、黒龍といえば、
 
吾は悔いても悔いきれぬ罪を背負う。
 
それならば・・・
 
いっそ、
 
白峰を選び・・
 
吾の思いなど・・・。
 
吾の思いをわが身にかえて殺してしまえばいいのかもしれない。
 

されど・・・。
黒龍とて・・。
どちらかを択べば・・どちらかが
天子様に討伐されるやもしれぬに・・
きのえの裁量がさだまるはずもなく
勝源の問いにきのえは黙り込むしかない。
「定まらぬかや?」
きのえの沈黙はつまり、そういうことになろう。
琵琶の湖のほとりの村長の娘のただの一言で
神の命を絶つやもしれぬ。
神選びの裏側に神殺しという重すぎる責荷があれば
きのえとて、口にだす決断もつけきれまい。
これが、普通の婿選びでもあらば・・。
勝源の苦渋が口元を歪ませる。
まだ、十八。
娘という雛が妻になり、母になり、女としての人生を歩み始める。
人して、ごく平凡につつましく、ありふれた、平穏な日々を・・
なぜ、きのえだけがおくることができなくなる?
成ってしまったことは、今更取り返しがつきもしない。
無駄な悔懇だとわかっていながら、繰言のように
無念が浮ぶ。
人として、幸せな道をあゆむ筈だった、
歩ませてくれる筈だった藤太まで見初めた勝源の
きのえに寄せた情愛さえ、いまや水泡に帰し、
あわれ、娘は己勝手に思いをたたきつける神を顧みて
沈黙を護らざるを得ない。
「き・・きのえ・・や」
用心深く小束を勝源に渡しながら婆さまがきのえを呼んだ。
うろんげに婆をみつめるきのえの
その目の中をのぞきこんだのは、
もう、きのえが自害を考えないと確かめるためだろう。
「きのえ・・や。
男と女にの・・神も人間もありはしないわな?
ならばの、おまえも相手を神じゃと考えんでも良いわいな。
おまえもおなご。
おなごの本心だけ、みつめればよいに」
婆の言う事はひどく簡単である。
簡単だからこそ核心をついている。
裏を返せば神がとりあっているものは、「女」である。
その神を択ぶのは
[正義][大儀][憐憫]などという類いの
もろもろのあくたのごとき飾りや考えではない。
言い換えれば神も[男]として択ばれてこそ・・であろう。
「どちらかを択んだらどうなる、こうなる。
こんなことはどうでもよい。
お前はおなごとして、どちらを択ぶか
その気持ちを言わずとも良い。
天子様にだって言わずとも良い。
だいじなのは、おまえが本心をさだむることじゃ。
勝源の言いたいことはそこじゃに」
くいいいるように婆さまをみつめていたきのえの口元がかすかに開いた。
「お・・」
婆もきのえの口元をみつめ、きのえが語ろうとする言葉を待った。
「女子・・の・・本心?」
女子の本心・・。
婆は簡単に言うけれど、きのえは戸惑うばかりである。
白峰への情は女子ゆえに湧き出るものではないのか?
必死にきのえを追う白蛇神をにくからずと思うようになってしまうのは
女子のさがが生み出す女子の本心ではないのか?
黒龍とて・・黒龍とて・・
結局、きのえという女は睦み事に翻弄されるただの淫猥?
きのえの惑いを見透かすと婆は笑い出した。
「ふたりの男とちょっと、深い仲になったが、どうじゃという?
それで、思いがさだまらぬかや?
それはのお・・
きのえが今しか、見ておらぬからじゃ
相手を見て
自分をみておらぬからじゃ」
婆さまの言いたいことがきのえには見えてこない。
判じ物を解こうにも
今・・事実・・2人の神は争うばかり。
今を見ず、先を見ろといわれても、見れるわけが無い。
「おまえはの・・まだまだ・・小娘でしかないわ・・」
婆の口はきのえをあざけてはいない。
むしろ、小娘でしかないきのえのおぼこさを喜ぶかのような
笑みがこぼれていた。
女の本能に引っ付かれるは、あるいは過酷な事でもある。
過酷な心根に捕われきってないは幸いともいえる。
おなごの本心がおなごを牛耳ってしまっていたら
きのえはさっさと残酷な選択を平気でやりのけていただろう。
小娘では・・わかりえもせぬ
女の本心を婆は一言で紐解いた。
「きのえ・・
おまえ、誰の子供を生みたい?」

 

婆の一言は真理である。 
悠久の時の流れの中に 
およそ、生きとし生けるものは 
己が生きた証を刻み付けることは出来ない。 
だが、ただ、ひとつの例外がある。 
それが血である。 
愛するものと愛されるものが融合し 
血が受け継がれ 
未来永劫、伝えられていく。 
生命の起源が母であるならば、 
母が護り、伝えてゆくものこそ 
血である。 
 
己が生きた存在の証である 
血の継承を望むとき 
女はより尊い愛をつかもうとする。 
 
業とも欲ともいえる 
女の本能は己の存在を量りにかける。 
時に命をかけて子を産む女だからこそ、 
「誰の子を産みたいか」 
この答えが究極を見せ付ける。 
 
くっと引き結んだ口元は 
答えを胸の奥に秘めた証拠であろう。 
きのえは、婆の言った口に出さぬで良いの言葉に押され 
素直に自分の心を覗きこめた。 
呵責も懺悔も悔恨ももたず、 
むしろ・・わきでてくるというが正しい。 
産着の中のつぶらな瞳を覗き込む男の姿は 
黒龍しか、居ない。 
憧憬がそのまま、溢れかえり 
ひたむきで、無垢なきのえの思いが蘇ってくる。 
吾は黒龍の花嫁になる。 
この思いはいつだってきのえの心に根を張っている。 
それを・・ 
実をつけようとする樹木を根っこごと 
とりはらおうとするには 
心ごと、 
心という地面にはえた樹木をとりはらおうとするには、 
心ごと・・・、 
どこかに葬るしかない。 
 
そんな事などできるはずがない。 
できるはずが無いから 
きのえは先刻死を掴み取ろうとした。 
心をだに、なくしたくないばかりに・・・。 
死だけがなにもかもを解決してくれるように思えた。 
 
己の心のありさまも 
神の争いも・・・。 
 
だが、 
勝源に諭され 
婆さまに知らされた。 
 
生きておればこそ 
開けてゆく。 
生きてゆかねば、 
命はつむがれぬ。 
 
「誰の子が欲しいか・・」 
今、白峰の子を宿しているきのえでありとても、 
黒龍は 
間違いなく、きのえを望む。 
 
それが・・ 
あの争いの姿。 
命をかけて証をたてようとする黒龍を捨て置き 
死ぬるは 
婆さまの言うとおり 
早まった事でしかない。 
 
たとえ、今、白峰の子を宿そうとも 
己の心まで、縛られてなるものか。 
 
琵琶の湖の生きものたちにあふりをあげおとす、 
おろかは黒龍とて、熟知のうえ。 
むごいほどの冷徹さで掴み取るものの価値を見据え、 
黒き神はきのえに懸想のあかしをみせているというに、 
なんで、 
なまはんかな酌情におのれをゆさぶらせねばならない。 
 
きのえ本来の勝気な性がその瞳に強い意志の光を宿らせる。 
 
押し黙ったままの娘の瞳の中に 
生き抜いてゆくものだけが持つ確かな輝きがもどってきたと 
判ると勝源は立ち上がった。 
 
「今から・・行く。明朝には、都にはいれるだろう」 

勝源が急ぐのも無理が無い。 
「今なら・・・風が良い」 
琵琶の西岸に向かって風が流れている。 
あふりを掻い潜ろうにも、昼間には湖が暖まり 
上昇した熱気が空に逃げ 
熱気が逃げた場所をめがけ 
比叡おろしの余風が流れ込む。 
目に見えぬ空気の流れにのり 
あふりはところかまわず降りてくる。 
それが夕刻になると 
湖が冷え出し、暖まった気流が戻ってくる。 
勝源のいう風が良いとは、 
気流の変わるわずかの隙をいう。 
海で言えば、丁度凪にあたる。 
気流の凪のまに琵琶街道をつっきってしまえば 
あとは、どうとでもなる。 
 
山を越え難波津の都まで 
いくら急いで夜通し歩きとおしても、 
朝までいけるかどうか・・。 
難波津までは四十里近くある。 
舟を出すしかないと覚悟をきめると 
勝源はみのをひきだし、あふりを防ぐための 
油紙を身体にまといつけた。 
風がかわらぬうちに争いの下を潜る抜けしかない。 
とるものもとりあえずというが 
乾し飯と竹筒にいれた水といくばくかの路銭を受け取るいとまさえ 
おしんで勝源は湖の岸に走った。 
幼き頃から慣れ親しんだ櫓である。 
よほど、歩くより早く、湖のわずかの汐のながれも熟知している。 
よっぴけば、星をたよりにいくも知っている。 
はずみをつけ、ぐいっ湖面におしだした舟にのれば 
勝源のすがたは婆の目にもきのえの目にも 
またたくまに小さくなっていった。 
 
「父様は夜通し、舟をこぎなさるんじゃろうか?」 
そうするしかあるまい事をわざわざ口に出して 
たずねるきのえの手は父、勝源を拝んでいた。 

posted by 憂生 at 22:00| Comment(0) | 16話 洞の祠 ・白蛇抄・  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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