剣の舞を踊るサーシャの足がおちてゆくそのポジションを
見つめ続けた男は
やがて、
イワノフの手をシッカリと、握り締めた。
***出番を控えている義姉であるターニャの元に
サーシャの事実をつたえにいくことは、つらいことでもある。
だが、
キエフの大物舞踏家が、サーシャを預からせてくれという。
姉妹でありながら、
ターニャはこんな、地方の劇場まがいの
酒場の舞台から、抜け出ることも出来ないにくらべ、
妹の舞踏の技術は
世界を相手にする国立舞踏団の花形スターの目に十分な可能性を
秘めている。
イワノフがターニャに妹サーシャのチャンスをつげるのを、
渋りたくなるもうひとつの要因がある。
ターニャは今、この劇場のソロマドンナである。
が、それは、
ある一定の境界の中においてである。
ある時間までは純粋に舞踏、レビューで、舞台をかざるのであるが、
ある時間を過ぎると、
性的な刺激を内包する出し物に変わる。
簡単に言えば、
乳房をさらして、踊ることもざらであり、
そのサービスの見返りに客席から祝儀をもらう。
もちろん、それだけではない。
多くの場合、この舞台を布石にして、
パトロンを探すということである。
ターニャは両親をウクライナの列車事故でなくし、
妹と二人きりになったとき、
好きだった踊りで身を立ててゆくことの出来る
この劇場に勤めだした。
それから、3年後に高等学校を卒業したサーシャもここに
つとめだしたのである。
そして、ターニャはかなり、早いうちから
ソロマドンナの地位を得たのであるが、
昨年末くらいから
客の人気にかげりがではじめてきた。
それでも、ソロマドンナの位置にターニャを座らせておいたのも、
イワノフの個人感情のせいである。
「結婚してくれないか」
20歳以上年齢も違う。
ターニャが返事に戸惑うのもわかる。
「いそがなくていい」
と、いってはみたものの、
ターニャがこれ以上ソロマドンナを
張ってゆくことは困難になってきていた。
「どうするかね?アフタータイムにかわるか?」
つまり、舞台で胸をさらけだして踊るかときいている。
ターニャは
「え?」
と、声を上げた。
イワノフに、ターニャの驚きはなぜかわかる。
プロポーズした男が
なぜそんなことをターニャにきりだすのか?
***ぐっと息をのんで、イワノフをみたターニャの顔が思い出される。
プロポーズはプロポーズ。
ビジネスはビジネス。
割り切った考えを理解しろということが、土台むりであろうが、
イワノフの計算もある。
ターニャをおいつめてゆくことで、
イワノフとの生活がいかに安泰なものであるかを
しらせてゆこうと言うのである。
だが、残念なことに
ターニャをおいつめる者が自分であり、
救いの手を差し伸べるのも自分である。
海につきおとしておいて、
たすけてやろうかといっても、
自分で泳げるうちは
ターニャとて、イワノフにすがってきはすまい。
舞踏家という夢を描くのはターニャとて、おなじであろうに、
ターニャのこの先は芸術とは、程遠い
色艶の世界しかない。
そこで、胸をさらけだして踊ることなど、させたくないのが、イワノフである。
だが、
いくら、イワノフがターニャをかばいたくとも、
出来ないことである。
踊り娘は他にもたくさんいる。
これ以上、イワノフのひいきで、ソロ・マドンナに据え置くことが、無理に
なってきているターニャの実力でしかない。
ターニャが踊りをつづけてゆくとしたら、
脱ぐしかないといって、過言でない。
身体を武器に踊りを担うしかないにくらべ、
サーシャは一流の舞踏家になれる素質を有している。
結婚を逃げ場にしてくれというわけではないが、
一人の女性の夢がついえてゆく。
そう思うとイワノフはターニャに平凡な結婚生活を送ってほしいと
考えたのである。
もちろん、二十歳も年齢が違うイワノフであるから、
ターニャの結婚相手に自分を考えることは、なかった。
だが、
ターニャに踊り娘としての限界、
ターニャの才能がそこまでのものでしかないことを
告げたとき、
イワノフは思わぬ告白をしていたのである。
「君がよければ、結婚してくれないか」
思わず口をついた言葉が先で
イワノフは、やっと自分のターニャへの気持ちを確信した。
心のそこのどこかで、
ターニャがサーシャでなかったことを喜びながら、
イワノフは
手短にサーシャをキエフの舞踏家に紹介したいきさつを話した。
ビデオに収めたサーシャの踊りが舞踏家の目に触れると、
幾日も経たないうちに
舞踏家自ら、ここに尋ねてきたのである。
「サーシャが?」
ターニャの顔が複雑にゆがんだ。
妹の才能が本物であることは
姉としてうれしい。
だが、同じ踊り娘として、
歯牙にもかけられない自分をいっそうにしらされる。
「サーシャには、まだ、はなしてないが、
君がサーシャの保護者である以上、
まず、君の同意が必要だと思う」
サーシャをキエフにいかせる。
それは、
サーシャが一流のプリマドンナになれるチャンス。
「サーシャの気持ちしだいです」
答えてから、ターニャはどこかで耳にしたせりふだと思った。
イワノフだ。
「踊りをつづけてゆくか、僕と結婚してくれるか、
君の気持ちしだいだ」
踊りを続けてゆく。イコール、結婚は断るという意味になるだろう。
逆に
結婚するといえば、踊りは続けてゆけない。
ターニャの迷いはそこにあったかもしれない。
踊りは続けたい。
だが、
自分の踊りはもう、踊りだけでは稼げる代物でなくなってきている。
踊りをつづけてゆくということは、
人前で、胸をさらけ出すということだ。
イワノフと一緒になれば、
彼の財力で
たとえば小さな養成所をつくって、
子供たちを指導するということで、舞踏にかかわってゆくことも出来る。
だが、そんなことよりも、
もう、売り物にならない自分のレベルをつきつけられ、
いま、また、
サーシャの才能を見せつけられた。
踊り続けてゆくことが出来るのに・・・。
あと、二月でソロマドンナの地位を手放すしかない。
イワノフの劇場をはなれ、
他の場所にいったとて、結果は同じ。
むしろ、もっと、ひどい境遇がまっているだろう。
踊り娘という名を語る陰売。
あるいは、
踊りを踊れる陰売という言い方が正解かもしれない。
才能がないものは、
どこまでも、おちるしかないのか。
サーシャが逆にそれを証明する。
才能があるものは、
どこまでものぼりつづけてゆける。
ターニャは、出番を控えるため、舞台のすそから
ステップに上がっていった。
心なしか張り詰めた表情が泣き出しそうにも見える。
「返事ははやいほうがいい」
イワノフは伝えると観客席に移っていった。
***舞台をはねて
二人のアパートに帰ってくるまで、
並んで歩きながら
ターニャの足取りが重い。
「姉さん?どうしたの?」
やはり、ソロマドンナ降格が応えているのだろうと、
サーシャは言葉を選ぶ。
「あたしは・・・アフタータイムの踊り手でも、
別にかまわないんじゃないかとおもうんだけどね」
悲しそうにうつむいたターニャにかまわず
サーシャの言葉が続く。
「姉さんはアフタータイムの踊り娘をばかにしてるし、
観客を馬鹿にしてるんだ」
ターニャの言葉が不思議で
サーシャは尋ねかえした。
「どういう意味だろう?」
「姉さんはアフタータイムの踊りが実力で成り立ってない。
踊りを見る目がない観客が女の裸を見に来てる。
そこで踊ればさらしものだとおもってるんだ」
サーシャに・・・何がわかるというんだろう?
ましてや、この子は間違っても
さらし物になることなんかない子だ。
もちろん、まだ・・・・サーシャは
キエフからの招待をしらないけれど。
「あなた・・・。じゃあ、胸をさらして、おどってゆける?」
「できるよ。あたしは、胸をさらすんじゃないもの。
踊りを踊るんだもの。
胸を出すのは衣装を着けてないと思うからおかしいのよ。
おっぱいっていう衣装をつけてるのよ」
確かに演目は胸をさらけて踊るにふさわしい
妖艶な音律をBGMにしている。
「あなた・・・」
本当に踊りがすきなんだと思う。
どんな場末にいてもこの子は
「踊る」んだ。
「今はさあ、ラインダンサーとか、十把一絡げの
端役でしかないけどさ、アフターでソロをはれっていわれたら、
そっちのほうがいいな。
そこから、チャンスをつかむことができるかもしれないもの」
サーシャの考えは若さゆえではあろう。
だが、
チャンス。
その言葉にターニャは話さなければならない
いろんなことを思い返してみた。
たとえば、イワノフのプロポーズ。
サーシャのキエフへの招待。
そして、自分の進退・・・。
これらすべてが
「チャンス」という紐でくくられる。
どうチャンスにしてゆくかで、
この先の運命も
ラッキーかアンラッキーに
分かれてゆく気がする。
サーシャのことは、簡単だろう。サーシャの決心ひとつだ。
自分がこの先どうするか。
ターニャはやっと、サーシャに
イワノフからのプロポーズを
話してみる気になった。
***安いアパートの二階の北の隅は
ただでさえ陽があたらないのに、
二人の留守で火の気の無い部屋は
いっそう、凍えている。
それでも、鍵を差し込む手をかじこませた姉妹が
やっと部屋の中に入るまで外気に晒される廊下の寒さに比べれば
部屋の中は安息地である。
中に入ればまずストーブをつけよう。
夕食には昨日のジャガイモのポトフが残っている。
ストーブの上でポトフが温まる間に
イワノフのプロポーズのことなど、話せるだろう。
ターニャがなにか、考えている様子を
察っしたサーシャはあけられたドアの中に入り込むと
一番先にストーブの火をつけに行った。
後から入ってきたターニャがポトフをストーブの上に置きかけると
サーシャはなにかいいたげな姉の話を催促した。
「食事はあとでいいよ。姉さん、なにか、はなしたいことがあるんでしょ?」
妹はいつもこうだ。
気になることを後回しにすることを嫌う。
「いいのかな?」
ポトフの鍋を見ながらターニャは
サーシャの空腹が気になった。
「いいよ」
やっぱり、後回しになるかと、
ポトフの鍋から目を離し
ターニャはまだ、温まりきらないストーブの前に
椅子をふたつ引っ張ってきた。
足を暖めながらサーシャに話そうと座り込んだ姉の横に
サーシャもすわりこんだが、
並んで話す形が不安定でサーシャは
椅子ごと持ち上げると
ターニャの顔が見えるように
向きを変えて座りなおした。
「で?」
「うん」
いきなり、イワノフのプロポーズのことを口にするのも
てれくさい物がある。
「なに?」
「うん。やっぱり・・・あなたの話からにしよう」
「え?なに?あたしの事もあるわけ?そんなことあとでいいよ」
「うん。でも・・・。姉さんの話に関係あることだから・・・」
先にサーシャがキエフ行きをどうするか、それを判ってからのほうが
いいだろうとターニャは
イワノフから聞かされたサーシャのチャンスを話すことにした。
イワノフがサーシャの舞台稽古をVTRにおさめ、
それを、キエフ在住の舞踏家に送った。
「ああ?あれ?剣の舞だったかな?
3回くらい・・・・おどらされたかなあ」
サーシャにも覚えがある。
「うん。その3回ともイワノフさんが取ってたんだって事も知ってる?」
「え?そりゃしらない。で?」
話の先を急がせるサーシャの目が輝いている。
「うん。ポジションが3回とも、1cmの狂いがないって・・」
「はあ?」
それがどうしたのだという?
サーシャにすればあるいは。当然だと思ったのか?
それよりも、その事実より先が問題だといいたいのかもしれない。
「うん。で、そのVTRをみた舞踏家というのが、「*****/名前・考え中」なんだよ・・」
「え?」
ターニャの口から告げられた大物舞踏家の名前に
サーシャが、そのまま、噴出して笑い始めた。
「やだな。舞踏家だっていうだけなら、あたしだって、
なにか、いい話かなって、おもわないでもないじゃない?
で、その天下の*****さまにVTRを見てもらった・・・」
出てきた名前が大物過ぎて
サーシャのわずかな期待がしぼんでしまった。
大体欠点を指摘するときは
長所を先にほめるのが筋だから、
この後に話される内容にも想像がつく。
それにしても、
「イワノフさんも何を思ってそんな大物のところに・・・」
ポジションが正確だからって、
そんなことくらいで驚かれてたら、
ポリジョイサーカスの綱渡りなんか、
正確なポジションが当たり前。
命がいくつあってもたりやしないだろう?
そんなことを考えたら特に驚くことでもない。
「イワノフさんの目は確かよ。*****はあなたをキエフの
*****育成所に入所させたいと、もうしこんできたのよ」
********育成所への招待?
飛び出してきた話が大きすぎて
サーシャにはこの話が真実であるとは思えない。
「まさか?
それだったら、なんで、******関係の人がじかに
あたしに話しにこないわけ?」
サーシャの疑念はもっともだと思う。
「いくら、イワノフさんが口をきいたからって、
あたしに断りもなし、入所を決定する権利はないわ」
サーシャは関係者が来ないわけを
そんなふうに、想像する。
でも、それは、本当のことだと信じたがってるサーシャだということにもなる。
そして、ターニャは
イワノフがサーシャに先に話さず
ターニャに任せた本当の原因を話すべききっかけなんだと思った。
「イワノフさんはまず、あなたが未成年だということ、
つまり、あたしがあなたの保護者だということを
尊重して、私から、あなたにきいてほしいといったの」
でも、それもおかしな言い訳だと思う。
だいいち、サーシャはイワノフにとって1従業員なんだ。
未成年であるといっても、自分で金をかせぎ、
きちんと生計を立てている以上
社会人。大人。1個人としてあつかわれるべきであろう。
「だったら、姉さんに話すときにあたしもよんでくれればよかったんじゃない?
変だよ?」
やっぱりサーシャは聡い。
淡い期待でも、目いっぱい膨らませれば、はじけたときは辛く痛い。
サーシャの防御本能が
美味い話をうのみにしちゃいけないと
サーシャを守ろうしている。
「あのね・・・」
ターニャは大きく息を吸い込んだ。
その息と一緒にじゃなけりゃ、思いが定まらぬ返事を持ってることでしかない
イワノフのプロポーズのことははなせそうになかった。
「姉さんもそのことをこれから、あなたに相談しようと思ってたんだけど、
イワノフさんが姉さんにあなたへの話を任せたのは、
あなたの進路によって、
姉さんがイワノフさんのプロポーズの返事を
どうするか、きめるだろうって、考えたんだと思うんだ」
とたんにサーシャが戸惑った顔をした。
話の筋が良くわからないのだ。
「イワノフさんが?姉さんにプロポーズをした?」
「そうよ」
「イワノフさんが?」
「そう」
「あの・・イワノフさんが・・・」
「・・・」
「え?で、姉さんは云ってっ言ってないってこと?」
自分の話が後回しになるのもそっちのけで、
イワノフのプロポーズに話が集中しだすのも
イワノフのプロポーズが意外過ぎたのだろうと思っていたターニャは、
「云」と言ってないのかとたずねたサーシャが逆に意外だった。
「あなたには、あたしが「云」と言うほうが、不思議じゃないってことだよね?」
サーシャはもう一度、自分の頭の中を見渡して
「云。そうだね」と、答えた
「なんで?」
ナゼ、あたしが云というわけ?
「なんで・・・って・・・」
サーシャは自分の頭の中を見回す。
「なんとなく・・・
う〜〜〜ん。イワノフさんは優しい目でいつも、姉さんをみてたし・・」
サーシャの言葉をきいた途端にターニャの反撃が始まりだす。
「優しい?
イワノフさんが?
わけないわ。
あの人は・・・・。
そうよ。
脅しよ。
自分と結婚しないなら、裸で踊るしかないって、
人の弱みに付け込んで
結婚をちらつかせて・・・・」
癇走って喋るターニャを呆れ顔でみていたサーシャが、そんなターニャに
「ようは、あたしには、ロマンチックにドラマチックにプロポーズしてくれなかった。
乙女の結婚への夢はプロポーズの一言から花開いていくのに
イワノフさんは夢を踏み潰す言い方しかしなかったって、
ようは、そういう不満を言ってる・・・・って聞こえるだけなんだけど?」
「え?」
あるいは図星であったのか、
この芬々たる思いはようは、サーシャの言うとおり?
思いを分析されて、
サーシャはその分析結果にいっそう戸惑った。
『じゃあ・・・私が優しく・・ロマンチックに・・・愛情一杯でプロポーズされてたら?』
云といったのだろうか?
ターニャの戸惑いを見透かして、サーシャが笑う。
「姉さんこそ踊りと結婚を天秤にかけてるんじゃない?
本当に踊りたいなら、踊ればいいし
結婚は踊りとは、別問題だよ」
サーシャに
「今更ながら、判っている。
当たり前の事じゃない」
と、ターニャが言い返すとサーシャは
かすかな笑いを浮かべた。
それは、どこか、自嘲めいた悲しい笑いにも、見えた。
「そうよね。
判っている。
あたしは姉さんみたいに、恵まれたプリマドンナじゃないから・・・。
どうにかして、踊りを続けていきたいって、
それが、いつでも、最初。
だから、たとえば、結婚?
そんな事ひとつだって、考えの中にはいってきやしないのよ。
でも、姉さんは、結婚を考えることが出来るじゃない?」
つまり、サーシャは「踊り」しかないのに、
ターニャは結婚を考えられる。
すなわち、その状況自体が結婚と踊りを天秤の台に載せているという事であろう。
サーシャの言い分に百歩譲って見たとて、
ターニャには譲れない部分がある。
「だけど、あたしは、確かに結婚と踊りを両手にもとうとはしている。
でも、結婚と踊りを天秤なんかにかけてはいないわ」
サーシャはいっそう、深いため息をついた。
「そうね・・・。
すくなくとも・・・そう、見えるわね・・・」
棘をふくんだように聞こえるのは
ターニャの受け止め方がわるいせいだろうか?
それとも、じっさい、わざと、サーシャは棘を含ませたのだろうか?
「それ?どういう意味?」
事と次第によっちゃあ赦さない。
ターニャの語気に怒りが見えると
サーシャはいっそう、淋しそうに笑った。
「姉さんに踊りしかなかったら、
イワノフさんのプロポーズを考える事もなかったと思う。眼中にも無いって、大慌てで断っていたと思う。でも、姉さんの中でこれ以上ソロマドンナを維持できない自分だと分かったとき
、結婚を考える姉さんになっていたと思う。
そして、相手がイワノフさんだから・・・。
姉さんの踊りがソロじゃ通じないと評価した相手だから、姉さんは踊りをとるか、結婚を取るか・・・迷っている。
踊りを取りたいのは、やまやまだろうけど、
もう、下降線を辿るしかない自分だと、
知ったとき、
姉さんは、結婚してもいいと思った。
でも・・・。
それは、ズバリ・・・。
結婚を逃げ場所にしてるとも思うし
自分で自分への評価を認めることにもなる。
だから・・・。
姉さん・・には、きつい事をいうけど、
姉さん・・・は、自分に才能が無いって認めたくなくて・・・
逃げ場所に思える結婚もさけようとしている」
返答に窮するというのが、まさに言いえているサーシャはターニャの様子をぐうと、奥歯をかんで見据えていたが、
「そんな結婚と踊りへの思い・・・
これは天秤状態・・・だよ」
サーシャの宣言にぐうの音もでないまま・・・ターニャは決心していた。
『問題は・・・評価じゃない。
私が踊り続けていたいか・・・どうか・・・』
サーシャのいいたい事はそうだろう。
俯いた顔が上に向けられると
ターニャははっきりと微笑んだ。
『サーシャ・・・ありがとう。
確かにあたしは、有頂天になりすぎていた。
どうにかして、おどれないか・・・
一番最初の
一番大事な心を置き去りにしていた』
胸をさらけてさえ、踊りで観客を魅了することさえ、できるかどうかもわからない。
そこまでの、レベルさえないといわれたも同然の自分が売りものにするのは、
裸踊り・・・。
そう考えるのも・・・。
あるいは・・・。
それでさえ・・・。
己の才能のなさをわかっているから・・・。
「サーシャ・・・やっぱり・・・あたしは
踊っていたい」
暗にイワノフのプロポーズを断るといい、
もうひとついえば、
アフタータイムで踊ると
ターニャは決心していた。
サーシャは無論、キエフ行きを承諾した。
「チャンスだと思う」
踊り続けていく人生への確実な布石。
そうなるのだろう。
「でも・・・あなた・・・それでいいの?」
年頃の女の子らしく、恋もしたかろう?
お洒落もしたかろう?
ターニャの仕送りなど、微々たるもので、
サーシャが踊りで稼げるようになるまで、
養成所でのレッスンとアルバイト。
それが、何年続くか・・・。
すぐプロになれるかもしれないし、
一生、芽がでないかもしれない・・・。
姉の心配を察すると
「確かにね・・。
あたしも、踊りをすてても良いと思えるほどの人にめぐり合えたら、どんなに良いかなって思わないでもないのよ。
朝・・・ベーコンエッグを焼いて
オニオンスープを添えて
ふたりで、パンがやけるのを待ちながら
とりとめない会話を交わす。
平凡でありきたりな風景だけど、
本当はとても手の届かない所にあるのかもしれない。・・・・あたしには・・・ね」
サーシャに比べればターニャの目の前に平凡な風景があって、ターニャが望みさえすれば、
あっさりと、手が届くものだ。
「姉さんね・・・。
イワノフさんのことは、断ろうって思うの」
くっと、唇を結んで
なにか、いいたい言葉を閉ざすと
サーシャは
「アフターで踊るの?」
ターニャの決意を確かめた。
「うん・・・」
「そう・・・」
短すぎる言葉で姉の決意に同意するサーシャが
ターニャには、不思議な気がした。
「それだけ?」
「うん。だって、どっちを選ぼうと
努力していくのは、姉さんだもの。
やっていきたいと思うことを選ぶのも、
姉さんだもの」
「ひとつだけ、きいていい?」
「ん?」
「あなた・・・ナゼ・・・
あたしが、イワノフさんのプロポーズに云というとおもったの?」
それは、さっきもきいてきたことだと、
サーシャは思った。
「だから・・・さっきも言ったように・・・イワノフさんは姉さんのことを愛してるんだろうって思った・・から」
「ばかね。それは、なぜ、イワノフさんがプロポーズをしたかってことでしょ?
あたしが聞いてるのは
なぜ、あたしが云というと思ったかって事・・・」
「ああ・・・」
確かに尋ねられたことへの、返答にはなって無かった。
「う〜〜〜ん」
ナゼだろう?
なぜ、ターニャが云というと思ったんだろう?
「だよね。
父親かと思うくらい年がはなれていて・・・
イワノフさんにとっては、
美人でスタイル抜群で若い・・こんな姉さんと一緒になりたいだろうねってのは、判るけど
逆を言えば・・・
凡庸でもう、50歳ちかい年齢・・
わざわざ、こんなじいさんと一緒になりたいと思うほうがわからないよね?」
「・・・」
だから、尋ねているんじゃないかと、切り返す言葉を飲んだのは
自身がイワノフのプロポーズになんの違和感も感じてなかったと気が着いたからだった。
「たぶん・・ね。
姉さん・・一番大変だったから・・・。
ウクライナの列車事故で・・父さんも母さんも死んじゃって、あたしのために、
姉さんが父さんのかわりに稼いで、
あたしのこと、支えてくれてた。
だから、姉さんは甘えたい時にも、頼りたい時にも、ずっとひとりでがんばってたから・・・。だから・・・。
ひょっとして、イワノフさんに、父さんみたいに甘え、頼りたい姉さんの底の弱さ?
そんなのを・・・イワノフさんになら見せられる。イワノフさんなら頼れる。
あたしには、そう・・・みえたのかもしれない。
だから、云というっておもったのかもしれない」
ふた月はあっという間にすぎた。
サーシャのキエフ行きの準備と
アフターでの演目のレッスン。
振り付けを覚えるだけでも、
今までとは、違う媚たしなが
随所にはいり、
それが、ターニャの勘を狂わせる。
振り付け師の厳しい叱咤が遠慮なくターニャを叩く。
「それでも、ソロをはっていたのか」
悔し涙を飲み込んで、やっと、舞台にたつ初日にアフターの踊り娘がターニャに声をかけてきた。
「あんた・・・どうして、イワノフさんと一緒にならなかったの?」
傍目からみてさえ、イワノフがターニャに特別な好意をよせていると判ると、いうことになる。
もう一つ、言えば
ターニャがアフターに来るという事は
いわば、都落ち。
そのうえ、胸をさらけだす以前の
妖艶なしなひとつに、戸惑い煩悶している。
「最初は・・・サーシャのために、
お金がいるのかなって思った」
サーシャのキエフ行きは皆の知るところとなっていた。
「でも、それだったら、イワノフさんに出してもらえば済む事じゃない?」
つまり、アフターはパトロンを捕まえにくる場所でしかないと、彼女は考えている。
だが、ターニャはしなひとつつくるに、
戸惑うばかりで、
どうやら、身体を張ってパトロン探しというわけでもなさそうに見えた。
イワノフをパトロン、あるいは、伴侶に
する気になれず、他を捜しにきたにしては、
あまりにも、吹っ切れない迷いがありていにですぎていた。
「う・・・ん」
頷いたきりターニャは返事が出来なかった。
あの日。
サーシャのキエフ行きをお願いしにいって、
そして、
アフターで踊るとイワノフに告げた。
「それは、すなわち、僕と結婚しないという意味だろうか?」
求婚を断っておいて
まだ、イワノフの元で働かせてくれというのは、いかにも、あつかましいと判っていた。
判っていたが
それでも、ターニャにも考えがあった。
もし、他の劇場に移ったら、
収入面も減るが、
客もへると思った。
ソロマドンナとしてのターニャを知っている客が、
アフターのターニャに対しても特殊なまなざしでなく
以前からの踊り娘としてのターニャとして、
見つめてくれるはず。
だから、アフターを踊るにしても、
ココが一番好条件だった。
ターニャのあつかましい申し出に
イワノフはビジネスの顔で応対した。
「収入はおそらく、今の2倍以上になると思う。
あと、どうしても、アフターに入ると
後援者という名目で、
君は特別な援助を申し込まれるだろう。
もちろん、これは、君のプライベート部分に関わることなので、援助を断る、受ける、は、君が決める事なのだが、
直接交渉になると、客は断られた時に
やはり、気分を害す。
だから、交渉は踊り娘に直談判でなく、
私を通してという事になっているので、
そこのところは、心得ていて欲しい」
イワノフのいい口は
まるで、ターニャがパトロン漁りのために、
アフターにいったようにきこえ、
「私は援助が欲しいわけじゃありません」
切り口上で畳み込むと
イワノフは淋しそうに頷いていた。
「判っているよ。
金が欲しいなら・・へたな客よりも、
この私が一番金を出す。
君がそういう面で私を望まなかったように、
私も逆に君のパトロンになる気もないよ。
私が欲しいのは、
共に人生を歩んでくれる人だから・・・」
イワノフの言葉は少なからずターニャの心を痛めた。
サーシャにも言われたように、
ターニャの心の底では、イワノフの存在を受け入れ
よりどころにしている自分がいるせいだったのかもしれない。
だから、アフターの同僚である彼女にとっても、
ターニャが
イワノフと一緒になるのが、自然に見えたのかもしれない。
でも、なぜ、そう見えるのだろうか?
「わたしが、イワノフさんと一緒になるのは、
変にみえないってこと?」
アフターの同僚はそうねと頷いた。
頷いたついでに、
「むしろ、貴女がここに来るほうがおかしいわね」
「ココ?」
「そうよ。このアフタータイムの踊りがどういうことか、わかっているのでしょ?」
わかっている。
胸をさらけだし、欲情をそそらせる。
客は女の子の裸身を目当てにかよう。
でも、そうじゃない観客だって居るはず・・・。
「ここに来る半分以上の女の子がパトロンを掴むのが目的。
そうでなくても、いつまでも、芽のでない自分にジレンマを起し、まわりでは、同僚がパトロンのおかげで裕福に暮らしている。
そのじれんまに追い詰められ、
身を売るような考え方にも、いつのまにか、慣れてしまって、気が着いたときには、流されてる。それが・・・おち」
「そんなことはないわ。
ちゃんと、自分を見失わず、目的をもって、
アフターで踊ってる人も居るはずよ」
子供の話はきいちゃ居られないと、
彼女は
「そうね」
と、あっさり賛同をみせる。
それが、いっそう、ターニャの癇を高ぶらせ
彼女をへこませてやるためだけの言葉を返す結果につながる。
「あなたが、自分を見失って、パトロンを掴んで楽に暮らしたがる人間だから、あたしのこともそんな眼でしかみれないんだわ」
「おとなしいだけのおじょうさんかと思ってたら、けっこうな口をたたくじゃない」
ターニャの反撃をものともせず、
むしろ、ちっとは、骨があるとターニャを認めると彼女は
「でも、世間知らず・・で、恵まれた人間でしかない」
と、ターニャへの評価は辛らつである。
また、サーシャに言われたと同じ「恵まれている」が、でてくると、ターニャも自分を調べなおしたくなってくる。
「世間知らず、恵まれてる・・・そうなのかもしれないけど、なぜ?どうして?
あなたが、そこまで言うほどに、あなたは、世間を知っていて、恵まれない人間なわけ?」
ここが、ターニャの生真面目さ。
こんな女のひとこと、ふたこと、
軽くうけながしておけないのも、
ずばり、世間知らずであるターニャを証明しているとも気づきもしない。
気が付かないまま、むきになるターニャが妙に純粋にみえて、彼女は口調を和らげた。
「あたしは・・はじめから、アフターにはいったの。実入りがいいからね。
あたしは、17の時に子供をうんで、
どうしようもなくなって、母親に預けたの。
子供の父親とは、籍もいれないまま、
子供も認知されないまま・・・。
母親に子供を預け、養育費を送るためにね。
パトロン・・はね・・・。
この仕事はいつまでもつづけていけないでしょ?
そのための保険。
子供もこれから、お金が要るし、
女手ひとつの稼ぎで十分な教育をうけさせてやりたいと思ったら・・・
あたしには、このアフターの収入とパトロンの存在は必要なのよ」
あるいは・・・。
目的を持って流されず、しっかりと自分の意志でアフターをはる場合もあるんだよと
彼女はいいたかったのかもしれない。
「もうしわけないけどね・・・・
貴方から、アフターに入るだけの覚悟が読み取れないんだよね」
「あ・・あたしは・・・ただ・・踊っていたくて・・・」
それがターニャの本音。
「だけど、あなた・・・。
客の好奇な目につぶされそうだよ。
アフターに来る客の多くはただのすけべ。
愛人契約を結べる女の子を物色しにきてるだけ」
「そ・・そんなことない・・」
「踊りを純粋に楽しみたい人間は
アフター以前の時刻にいるか、
国立劇場にいってるよ」
「そ、そんなことないわ。
アフターの中からだって、プロになれる素質をもってるこがいるか、どうか、
そんな風に見てくれる人だっている・・」
ターニャの言葉は間違いではない。
いや、もっと肯定的にいえば
正解であり、真実である。
但し、以下の条件下において・・・・。
「そうね。
確かに、年齢的に「若ければ・・・」
道を間違えたマドンナをアフターから救いだして、プロを目指させてやりたいと思うでしょう。
だけど、あなた、いくつ?
才能もないのに、若さと美貌とスタイルのよさでソロマドンナの地位にたっていたけど、
あなたは、もうソロをはれるだけの若さでなくなって、
アフターに来て
それでも、まだ、踊りを評価される?
踊りを見たいなら
もうとっくにプロになれてるんじゃない?
ソロでも、目が出なかった人間の踊りをアフターにもってきて、
まともな評価を得たい?
貴女・・・自分でおかしいと思わない?
でも・・・」
彼女はターニャを見つめなおした。
「こんなこと、わたしがいわなくても、
これからの舞台・・・
観客が眼に物みせてくれる・・よ」
カルメンをアレンジしたバックミュージックが、流れるとそれが、ターニャの演目。
イワノフのせめてもの、配慮なのか、
それとも、
もともと、こういう衣装なのか。
真紅のバラを思わせる襞の濃いケープをまとい
5フレーズめまで、タップを踏んで
観客の拍手を求める拍手を自らうって、
ドラムがはいり、
情熱のカルメンは舞台で、
両手を天に翳す。
求めるものは灼熱の恋。
天に向かって祈りもとめるだけの女じゃないのが、カルメン。
己の手で恋を手繰り寄せるため
魅惑の身体を捧げる。
ドラムがとまり、フラッシュバックがはじまると、ターニャはケープを投げ捨てる。
あらわになった乳房をここぞと誇るが如く
胸を張り
紅いスカートをたくしあげ、
フラメンコ。
高く掲げた手は髪元におかれ、
下に曲げた手はスカートを掴み、振る。
一点のくすみのない情熱のため、
カルメンの胸はぴいんと、はりつめた背筋にささえられる。
だけど・・・・。
この胸をこの両手で覆い隠してしまいたい。
暗転からフラッシュバックした舞台に
立ち尽くす裸身のターニャに
観客席からどよめきが起きた。
だれもが、昨日まで、ソロをはっていた、美貌のプリマドンナの胸を
その目でみたいとチケットを買い求めた。
好奇と興味と卑猥・・・。
舌なめずりがきこえそうな欲情・・・。
踊りとは、程遠い見世物。
観客と目が合えば、
独特の秋波に包まれる。
ターニャをその手に抱いた夢想に酔うのか、
胸だけで、飽き足らず興味の触手は
ターニャの下半身にのび、
夢想を実現させる手段があると、
観客の触手は胸のポケットの中の金をまさぐる。
ターニャに触れることができるパトロンに
なれるチャンスはあるいは、皆に平等で
望さえすれば、夢が叶うかもしれない。
そんな観客にとって
ターニャは・・・
『私は見世物じゃない。
それよりも、もっと、酷い。
そう・・・・。
商品。
それも、陳列台に自ら乗った・・
馬鹿な商品』
己を売り物にしているだけにすぎないと、
気がついた時は、
もう、遅すぎた。
引き返す術がなくなったのは、
サーシャへの仕送りがからんだせいでもある。
キエフで・・・どれだけ、金がいるか・・・。
アフターの同僚が
子供のために・・裸で踊った。
ターニャだって出来ないわけは無い。
まがいものの踊りでも、
その手で稼いだ金で
サーシャはいつかプロになる。
踊りたい。
その心を底に埋め隠すと
サーシャを希望の星にかえ、
・・・・。
そして、
いつか・・・・。
私も・・・。
誰かの手に落ちる。
この先、
何百人
何千人の好奇の目にさらされるくらいなら、
きっと、
たったひとりのパトロンのものになったほうが、
楽になれる。
それは・・・・。
サーシャがプロになった時?
悲しい自嘲と諦めがターニャを包み
真っ白になる頭の中で
ステップを踏むこと。
胸を・・・
裸の胸を張る。
なにも、胸を張ること一つもてなかった女に、できることは、
このくらい・・。
真っ直ぐ胸を張って・・・。
目を瞑らない。
腕で覆わない。
ステップ。
次のステップ。
ターン。
タップ。
スカートをふって・・・。
タップ。
ターン・・・・・。
そして・・・。
ターニャのカルメンは絶賛を浴び、
アフターデビューは大成功に終った。


素敵なブログですね。
更新楽しみにしています。
また遊びにきますね。